『COOL軽音楽』2013年2月上旬号、董芷依のエッセイ試訳

SNH48一期生の中では最強のAKB48ヲタ、「ドンちゃん」こと董芷依(トン・チーイー)が、中国のJ-POP/K-POP情報誌『COOL軽音楽』2013年2月上旬号に長文を寄せているので、全文、日本語に試訳した。
「浅水湾公演」とは2013/01/12に上海浅水湾にあるホールで開催された、SNH48一期生お披露目公演こと。


晴れ上がったある日――浅水湾公演のいろいろについての記
それはおそらく私が今までに見たいちばん美しい景色だ。夜のように空いっぱい遥か輝く星、果てない森に飛びかう蛍火のようでもある。無数の輝く水色の光が私の目の前で動き、舞い踊り、きらきらとまぶしい。今に至るまで、すべてが1月12日にかかわり、過去2か月の場面が脳裏をよぎる、私は思った、多くの人が与えてくれたすばらしい成長を私は経験したんだと。
両親との別れは淡々として、ただいつもどおり学校へ向かうバスに乗り、日暮れにまた帰宅するだけのようだった。でも私は立ち去る時、一人だけで大きな荷物を引きずり、よく言えば「夢を追いかける旅路」にもう一度踏み出して上海へやって来た。
この数年間北方で過ごした冬とは違い、私たちが毎日早朝ランニングをしている大通りのそばには常緑樹のアオギリが密生しており、半熟卵のような太陽はまだ冬の寒風を半分しか脱ぎ去っておらず、陽光は頃よくカーテンを通してレッスン室の床に差し込み、少女たちは汗を拭き水を飲む合間に談笑し……こうした些細なことだけでも、私の最も温かな冬の日を思い起こさせるのに十分だ。
彼女たちに初めて会った時、私はそれぞれに個性を持ったこんな一群の少女たちと、この2か月で驚くべきことに舞台に立ち、48系の大家族の一員として観客のためにパフォーマンスをするなどと想像することがどうしてできただろう。だから最初は、一人のファンとしてでもいい、強迫症にかかった単なる小さなライオンとしてでもいい、私はいつでもすぐにこの異郷での生活にみんなを本当に参加させたいと思った。
その当時は私にとってはめったにない苦悩に満ちていた。前方に輝く先輩たちの姿を思うと同時に、すでによく知っているAKB48の歌を最初から学び、でも同時に仲間の中にぼんやりした顔を少し見ながらも、いらいらする気持ちが知らぬ間に口をついて出てしまったりもした。こんな自分はきっとみんなから嫌われるだろう……だから自分の焦りは抑えればそれでいいと思い、時間の力を信じることにした。
徐々に、意識せずとも気づくようになった、みんながすでに本当に集中した状態になっていると、特に一緒にダンスの振り付けの映像を研究しているとき、私は信じ始めるようになった、この子たちは心を一つにしさえすれば、奇跡を起こせるかもしれないと。まさに私が大好きな曲『Pioneer』のように「誰も期待してない24粒の種だった/いつかは一面 花咲く日が来るまで」。
この安心感は佐江さんとやんぬさんに初めて会うまで続いていた。彼女たちがレッスン室のドアを押し開いたあの一瞬を私は永遠に忘れることができない。私たちの驚きの声に対面して、不安と興奮が二人の目に交錯していたが、すぐに笑顔に変わった。佐江さんの笑顔はテレビで見るよりもさらに光り輝いていて、やんぬさんの口元は弧を描いてわずかにすぼまっていて、十分に親しみを感じさせた。私は当時みんなのいちばん端に立っていたが、前に出ていけない不器用な自分を心の中でこっそり叱っていた。数年間私にあれほどの喜びをもたらしてくれた人たち、私に勇気を奮い立たせてオーディションに参加させてくれた人たちが、まさにいま目の前に立っていると思うと、目に涙があふれ出してきた。スターの輝きを脱ぎ去ると彼女たちはふつうの親しみやすい人に見えたが、たった数歩の距離だけなのに、彼女たちとの大きな差を感じとった。もし48系の先輩がここ上海にいなければ、私たちはいったいどれだけの努力をし、どれだけの研鑽をへて初めて彼女たちと肩を並べることができただろうか?
佐江さんは一冊の中国語の本を持ち、ページをめくって子細に読みながら、真剣な表情をすぐに顔に浮かべた。そういった表情はその後レッスン中、チェック中、そしてともに過ごしたさまざまな場面で何度も目にした。彼女がページをめくって、やっとのことで私たちにあいさつする言葉を見つけ出すと、通訳のお姉さんに頑として頼ろうとせず、しばらく間をおいてから一言ひとこと話した、「你们好,我是宫泽佐江,你们好吗?(みなさんこんにちは、私は宮澤佐江です、みなさん元気ですか)」、言うそばから彼女は自分でこらえきれずに声を出して笑い出し、私たちも笑い出して、雰囲気は一気に打ち解けた。
やんぬさんは想像したよりずっと華奢で可愛らしく、落ち着いた雰囲気をただよわせていた。彼女の両手はきちんと腰に置かれ、視線は私たち一人ひとりの顔を見つめており、落ち着いた微笑みはまるで私たちにこう告げているようだった、「先輩はもうみなさんをしっかりと覚えましたよ!これからの日々どうぞよろしく、私たちいっしょに頑張りましょう!」と。彼女もまたていねいに自己紹介をして、中国語の発音は佐江さんよりきれいで、真面目なときは丸い目がさらに大きくなり、可愛くてたまらない。私は彼女の手を慎重に握って大声で言った、「よろしくお願いします!」、彼女はさらにしっかり私の両手を握り……ひんやりした感触は私をだんだんと落ち着かせてくれたが、視線が合った瞬間私はかえってますます緊張してしまった。冷静さを装って視線を動かすことしかできなかった……恥ずかしがっているこの訳の分からない後輩のことを心の底ではこっそり笑っているのかどうか?私には分からなかったけれど。
緊張するレッスンがすぐに始まった。私たちは自分たちの振り付けととオリジナルの差がこんなに大きいものだったのかと驚いたが、二人の先輩は自分たちの驚きを胸に収めて、すぐに集中して一曲ずつのサビの部分のダンスを教えはじめた。それまで先輩のダンスを映像で見たときは、それほど難しくないと思っていたが、彼女たちが目の前で正式に舞台に上がっているかのようにお手本を示してくれたとき、私はやっと不意に悟った。歌とダンスにこめる感情を説明するところから、頭を振ったり指を鳴らしたりといった小さな動作まで、すべて日頃のレッスンで何倍もの努力を払い、何倍もの力を出さなければ、舞台に上がって観客を一人たりとも満足させるパフォーマンスはできないということを。
個々の動作ごとにメンバー一人ひとりのダンスの振りがそろっていないかもしれないので、佐江さんがオリジナルの振りを踊っている時、絶えず「ごめんなさい」と口ごもった。一人でも出来ていないと、彼女はもう一度踊って、全員がきれいにそろうまで止めなかった。そしてやんぬさんは私と佐江さんの振りが違っていると分かると、すぐにかけつけて私の目の前で手とり足とり教えてくれた。いちばん面白かったのは一度彼女が『おしべとめしべと夜の蝶々』の歌詞をもって私のそばに座って、笑いながら私に聞いたことだ。「空(コン)ちゃん私に中国語で歌って教えてくれる?」輝いている瞳は、私への期待と信頼をあらわしていた。実はダンスだけでなく、彼女たちは私たちとのやりとりや交流を通じて、言葉や心で私たちに伝えてくれたことは、あの一週間余りの収穫が普段よりはるかに多かったと深く感じさせてくれた。
彼女たちが初めて上海に来た期間、増田有華先輩の卒業が発表された。ある日いっしょに映像を見ていて、佐江さんが画面の中の有華先輩が舞台で談笑しているのを見ている時、知らぬ間に手を伸ばして、ぶつぶつと話した「MASUDA……MASUDA……」上海を離れる最後の晩、私たちは数日間に学んだことを一度すべて演じてみせた。8曲目を踊っている時、ふと前にいる佐江さんを見ると、何と彼女の瞳が赤くなり始めているのに気づいた。『支え』を歌うときになると、私たちも彼女も涙が流れ落ちるのを抑えきれなかった。あのとき私は本当に「私たちは仲間なんだ」、私たちはきっといま同じ気持で泣いているんだと強烈に感じた。当然私もはっきりと意識した、佐江さんの涙の中にはさらに身にしみて深い情感があると。他の人には自分も同じものを感じていると言う資格が永遠にないような情感が。
このとき、Team Kにとって重要な意義のあるこの公演をやり遂げたいと強く思った。こういう気持ちを抱いて、私たちは彼女たちが帰国した後、毎日さらに熱心に練習し、いっしょに映像を見て自分のすべての振りをマスターし、公演全体のひな形が現れ始めた。チェックの回数が増えるにしたがって、チェックする先生がだんだんと褒めてくれるようになり、私たちはだんだん自信をもって1月12日を期待するようになった。公演の6日前、長く待ち望んでいた日本からのダンスの先生が私たちの振り付けを完璧にするために上海にやって来た。しかし仕事を始めた時みんなは初めて気づいた。「完璧」と言うよりも、「修正」と言うべきだと。私が初めて自分たちの稚拙さに気づき、以前の振りとオリジナルの差が大きすぎ、すでに2か月も練習してきた古い振りは力強く改めようとしても忘れ去ることはできなかった。
佐江さんとやんぬさんは悲しみが顔に浮かぶのをごまかそうとしてもできなかった。彼女たちは私たちがダンスの先生に叱られているのを見かねていた、私たちが少しでも進歩しているところがあれば、彼女たちはその部分を覚えていたからだ。でも彼女たちも私たちがその程度のレベルにしか達していないのを悔しがった、私たちがもっとうまくできるということを知っていたからだ。実は私たちも分かっていた、ずっと48系のグループの成長を見てきた先生たちも、SNHにすばらしい公演をして欲しいと思っていることを、より厳しく指導する必要があり、私たちは誰も責められないのだ。ただ自分からごめんなさいと言うメンバーがだんだんと多くなってきたのが気がかりだった。佐江さんは少し疲れた様子の体を引きずって舞台までやって来て、私たちにたくさんたくさん心から話をしてくれた。その中には彼女とやんぬさんが舞台に上がることができず残念なこと、そして私たちにしっかりやってほしいと願っていることも含まれていた。あのときの彼女の表情……私には言葉で表せないので心をこめて形容することしかできないけど、私たちはみんな深い憂いと悲しみを感じ取った。
もう一度彼女たちの笑顔を見たのは、舞台に上る前に円陣を組んだ時だった。彼女たちは率先して私たちの手をとり、これ以上なく高らかにSNH48と叫んだ。やんぬさんは緊張で軽く震えている一人ひとりの肩を軽くたたいて、くり返し「がんばって!」「大丈夫!」といった言葉をかけた。すぐに幕の外からMIXの声が響いてきて私の感動は頂点に達した。耐え難い一日になるだろうと思ったのに、舞台の下の声援のなか飛ぶように時間は過ぎていった。細かく思い出すと、私たちはどんな幸運から、あんなに優秀な先輩とこんなに温かく寛容な観客に恵まれたのだろうと思える。パフォーマンスが終わった後、ハイタッチをした時の一人ひとりのファンの笑顔は頭の奥深くに刻まれている。でも僥倖はこの一度だけで、もう一度ファンの人たちの目の前に立つ時、私はファン一人ひとりが心の底から賛嘆できるような公演を勝ち取りたい。
私はまだ覚えている、あの日舞台の上で、熱く照らすライトに囲まれている自分、舞台の下から止むことなく起こる掛け声、周囲の仲間たちの汗が飛び散る瞬間に昇華する様子……鼓動がだんだんと速まり、一つひとつの掛け声がリズミカルに響いてくるのはまるで頭のなかで金を叩き鳴らす音が旋回するよう。その音が絶えず私に、未来へつづく道が、近道のないものであることを気づかせてくれる。
暗雲の背後には常に陽光がある。次に会うのは、きっと晴れ上がったある日に違いない。