SNH48チームHII三期生ドウちゃん(李豆豆)ちょっと泣ける『私の一生完全版』長文ツイート

いつもは超ナルシスト・キャラでボケをかましまくっている、SNH48チームHII三期生ドウちゃん(李豆豆)が、2015/08/02 04:14に中国ツイッター(新浪微博)で「最近自分には文章力もあることに気づいたので、我慢できずに夜遅くまで4時間もかけて大作を書き上げたよ」と、またまた超ナルシスティックに自分の作文を紹介していた。

タイトルは『私の一生完全版』(なんじゃそれ!)。

でも内容が意外に真面目で、どこまで本気で読んでいいのかわからないけれど、ドウちゃん(李豆豆)の意外な過去が書かれてあったので、全文日本語試訳する。最後はちょっと泣けるかも。


『私の人生完全版』-宇宙で最も美しい私

私の人生は本当にでこぼこ、信じられないなら以下を読んで下さい。囧囧
先ず、私が生まれたばかりのときから語り始めると、そのころ私は少し醜かったので、私の実の母親まで私を認知したくないほどでした。1996.10.05 23:45 は私にとって決して素晴らしくはない夜でした。

こうして見込みが無いと思われたのが始まりだったせいで、私の赤ちゃん時代の経歴が順調でなかったのかもしれません。

2歳半になってやっと私は歩けるようになり、3歳でやっと口を開いて話せるようになり、医者さえも母親に私の今後にあまり大きな期待を持たないようにさせたほど。でもそうであっても、母親の母親、つまり母方の祖母は変わらず私を絶えず励ましてくれました。

祖母が私が2歳半のときからずっと私を大人になるまで育てたので、祖母こそ私にとって親のような存在でした。

以上のことは(中国湖北省)洪湖市という場所で起こったことで、私の両親はほとんど武漢で仕事をしていて、会うことがとても少なかったのです。

私がまもなく幼稚園に入って外の世界に触れようというときでも、両親は母方の祖母と祖父に武漢の学校まで送るよう要求しました。

交通が発達していない時代のことですから、町を出るのもとても大変なことで、祖母は考えに考えて舟をこいで私を武漢に連れて行くことに決めたのです。

私はまだ覚えています。私たちが舟をこぎながら川辺の風景を眺めている情景を。とても温かでした。


そうして私は見知らぬ街で新たな生活をはじめました。生活に適応できなかったため、幼稚園では友だちもできず、性格も内向的で、連続1か月も朝幼稚園に通うとき、毎日私は泣きながら連れて行かれました。

でもここの先生は皆私にとても良くしてくれて、毎日祖父に教室まで送られてくる私のことをずっと受け入れてくれました。

ところが一年後、私は転園し、家までもっと近い幼稚園に入りました。そこは市の中でも一二を争う優秀な幼稚園で、クラスに入ったばかりの私は決して温もりを感じませんでした。

そして強烈な差別的待遇があり、ここの先生は活発で成績の良い優秀な子が好きでしたから、私の家族が先生に贈り物をしても、なんの役にも立ちませんでした。

そして、これが私がダンスと古箏を習い始めるきっかけになったのです。もともとは社会潮流の趣味のクラスに入るためでしたが、このために私の素晴らしい天賦の才能が発掘されることになるのです。

それは芸術方面の特技で、私に深く学ばせるために、祖母は40度の高温の下、走り回って私のために良いダンス教室を見つけてくれました。

学校に通う以外に、私は毎日余分のレッスンを毎日受ける必要があったので、祖母は私の送り迎えをする責任を引き受け、室外でレッスンが終わるまで2時間も待ち続けるという苦労をかけました。

小学校に入学する前、両親は私に広州で長期間の仕事をしなければならないと宣告し、その後家に帰って私に会うことがさらに少なくなりました。このことは突然の知らせだったので、まだ幼かった私は祖母に抱きついたまま一晩泣き明かしたのです。

小学校に入学したばかりの私は、すべてに対してあまり慣れず、でも心の中では必ず親友を見つけてみせると思っていました。そこでクラス全員の姓名を覚えた後、ABBという形式の名前の女生徒のことが気に入りました。

まるで昔からの友だちを見つけたようで、私と彼女はだんだんと一緒に行動するようになり、成績は悪かったけれど、お互いに勉強を助けあうことでずっと進歩していくだろうと思っていました。

三年間、生活はずっと平淡で、両親も一年に一度帰って来るだけでした。最初のお別れのときは泣きましたが、その後はもう涙をこらえることを覚えました。その三年間、自分だけをたよりにたくさんの道理を学び、少しは能力も積み重ねました。

四年制の初めになったとき、私の成績は急速に良くなり、ゆくりとクラスのトップ5位になり、交友関係もだんだんと広くなりました。だんだんとクラスの中や学校の中で重要な役割を担当するようになりました。

もしかすると自身が人を美しく変えるのかもしれませんね。当時の私はますます美人になり、学校のチアリーディングチームや合唱隊に選ばれました。趣味で習っていたダンスでも大きな進展があり、高難度の技術をたくさんマスターしました。

最後の卒業試験でも全校で第8位の好順位を取ったのですが、このとき、私の両親が私に離婚すると告げました。

当時の私はこの事実を全く受け入れることができませんでしたが、今考えてみると、彼らにとってそれが幸福でありさえすれば、私にとってもうれしいことです。

離婚は決して人を楽しくさせることではありませんが、両親はついに広州から武漢に帰ってきました。

私の愛する広州の白雲山にはもう行くことができなくなりましたが、でも母親がずっと私と一緒にいてくれたのは、本当にうれしかったです。

中学3年生のとき、母親がいるようになって、祖母の責任もかなり小さくなり、もう私に服を作る必要もなくなり、掃除をする必要もなくなりました。

中学校で私はずっと努力して、不幸にも全校で最低のクラスに分けられてしまいましたが、心の中では一番になれさえすればいいと思っていました。でも物理と数学がいちばん得意な科目でした。

緊張する試験準備期間の後、ついに高校入試がやって来ました。結果は中学入学以来の最低得点。一類の高校の合格点に3点足りないだけでしたが、やはり二類の高校を選び、その高校の中でいちばん良いクラスに順調に入りました。

この結果について、私は意外にも全く残念だと思いませんでした。というのは私が合格した高校は運命によって決められていたかのようなところだったからです。

高校で理系文系を分けるとき、私は両親の意見も参考にしましたが、最後には理系は得意すぎるので、文系ももう少し補いたいという理由で、私は文系を選択しました。

結果やはり数学と地理がいちばん得意な科目で、ゆっくりと地理という学科を好きになり始めました。SFも好きになり、勉強が面白いことに変わったのです。こういった自由で束縛されない気持ちが、私に勉強以外の道にも注意を向けさせました。それは芸術大学の入試です。

最初にこの考えを話したとき、ほとんどすべての人たちが反対しました。私の父親以外は。父親は異常なほど私を支持してくれ、教師を説得するのを手伝ってくれ、短期集中レッスンにも出してくれて、全ては父親と私二人の努力のおかげでした。

ついに私自身を証明して、周囲の人たちは私の選択を認め始めました。学校もこのためにだんだんと芸術科学生の進学率を重視し始めました。

私は完璧を追求する人なので、文系も専門の芸術科もどちらも落としてはいけないと自分に要求しました。

ところが、このような選択をしたことで、さらに多くの努力を払う必要があったのですが、私は自分のこだわりのために、入試への参加に出かける時間を短縮し、冬のいちばん寒い時期に、夏服を着て入試に参加することしかできませんでした。

また自分一人で全国各地を奔走して、苦労して長時間並び、結果を待ちました。この頃のことは美しくもあり辛くもある想い出です。

10校にしか応募しなかった私は、すでに採用される確率を大幅に落としていました。なので毎回きわめて真面目に試験に望むということしかできませんでした。

神様は常に公平です。努力は必ず報われる。たくさんの合格証を受け取った私はそれでも満足しませんでした。さらにみんなと違うことをやってみたい。これが私がSNH48三期生オーディションに応募した初心でした。

オーディションには黙って参加しましたが、やはり大学入試に影響が出ました。でも結果は良くて、最も良い結果になりました。その後のお話は皆さんが私と一緒に歩んできた経歴そのものです。

もしあなたがここまで読んでくださったら、私はとても感謝したいと思います。なので一人のアイドルとしてやっぱり実家を恋しく思いますが、自分のファンのことも自分の家族のように思いたいと考えています。

もしかするとこんなに何年もの間、両親がそばにいてくれなかったせいかもしれませんね。それで他人を守りたいという思いがさらに強くなったのでしょう。

でも立派な話をすることなんて私には全くできません。楽しくない時でも表に出したくありませんし、気持ちを抑えて皆さんにはもっとポジティブな感覚を与えたいと思っています。

なのでずっと私を受け入れて下さって本当にうれしいです。これからも私は私を応援してくれる一人ひとりを大切にします。あなたが私のためにどれだけのことをしてくれるかに関係なく。

私はやっぱり立派な話はできませんが、でも本当の気持ちは永遠にここにあって、あなたも私もそれを感じ取ることができます。

今まで私のそばにいてくれたあなたが、これからも続けて歩んでくれますように。みんな一緒に進歩できますように。これからもよろしくお願いします!

2015/08/02 04:14