北京BEJ48 TeamE シャオペイ(馮思佳)第三回総選挙スピーチ:極貧父子家庭からの脱出

上海SNH48、北京BEJ48、広州GNZ48合同の第三回総選挙だが、各メンバーが公演の後、一人ひとりアピールのスピーチをしている。

その中で、北京BEJ48チームE(SNH48六期生)馮思佳(フォン・スーチャー)のスピーチは聞く価値があるけれど、現地ファン的には、あまり国外に広める話でもないということで賛否両論があったらしい。

幸い現地ファンが中国語字幕を付けて、中国の弾幕コメント動画サイト「ビリビリ動画」にアップしていたので、その字幕を日本語試訳する。

SNH48第三回総選挙 北京BEJ48 TeamE シャオペイ(馮思佳 フォン・スーチャー)スピーチ


私の家の、ずっと昔からの歴史の話をしようね。

私ってたんすをひっくり返して何でも徹底的に探すクセがあるの。それで小さいころいろいろ探してたら、家の戸籍を見つけたの。

そのとき私のお父さんの学歴欄に書いてある三文字を見つけた。「半文盲(訳注:文字を少ししか読めない人)」。

そのときはよく分からなかったんだけど、成長してから両親が私に言ったのは、私のお父さんは、そのころ幼稚園なんてなかったでしょ。

それで小学二年生で田植えの手伝いをしなきゃいけなくて、おじいちゃんおばあちゃんの手伝いをして羊にやる草を刈ったり、放牧を手伝ったりして。

私はすごく良いと思ったよ。だって勉強のプレッシャーがないわけだし。

それから少し成長した後、お父さんは一人で街に出て出稼ぎに行ったの。まるで私みたいだよね。私も一人で北京に来たから。

それでお父さんはある工場でお母さんと知り合った。

お話としては、ここでハッピーエンドになるはずだよね。幸せいっぱいに暮らしました、って。

でも全然違ったの。

実は私のお父さんは一度も家長会議を開かなかった。私に恥をかかせたくなかったから。

私がまだ小さかったころ、お父さんは片手を機械に巻き込まれたの。だからお父さんは身体障害者手帳を持ってる。

お父さんは他の人より指が何本か少ないかもしれない。でも私はお父さんが他のお父さんよりも欠けてるところがたくさんあるとは思わない。

だって今でも同じように仕事ができるし、今でも同じように私を愛してる。

すごく良いことだと思う。

それで私は子供のころから、かなりワガママで、お母さんにくっついてお母さんが仕事に行く邪魔をしてた。

お母さんはそれがうれしかったみたいで、本当に仕事に行かなくなったの。

それでお母さんは毎日ポーカーをしたり、麻雀をしたりしてた。

私が中学生のとき、宿題を終えて家に帰ったら、夜中の一時、二時まで待ってもお母さんが帰って来ないの。

私が思ったのは、ああまた捕まっちゃった。

私そのころ本当に思ってたんだけど、夜中の二時を過ぎてもお母さんが帰って来なかったら、警察に捕まってるって。また賭博をして捕まったんだって。

でも私は慣れっこだった。

それからお父さんはお金を稼げないでしょ。でもお母さんは賭博でお金が必要。だからウチはいつもお金がない状態だった。

それで毎日夫婦ゲンカで、ある日私の目の前で、包丁を持ちだして、お互いにやりあうとか。

私は見て見ぬフリをしてた。

それからお母さんが私に聞いたの。お母さんとお父さんが離婚したらどう思う?って。

実はそのとき私、軽い気持ちで、もし二人が結婚してるのが、私のせいでいっしょにいなきゃいけないんだとしたら、それって最大の悲劇だと思って。

だから私はお母さんに、じゃあすぐに離婚しなよって言ったの。

そしたらお母さんは分かったって言って、出て行った。

でも家はやっぱりお金に困っていて、ずっと誰かが玄関の戸を叩きに来て、お父さんも家にいないし、お母さんも家にいないし。

私の家には安全扉もついてなかったから、いつでも簡単に玄関の戸を破ることができたの。

外から誰かが玄関を破って入ってきたら、私はすぐ物干し台に逃げて、家にいないふりをしてた。

それで20分ほどして外で音がしなくなって、人がどこかに行ったら、私はホッとして、良かったと思って。すごく危険なところをやり過ごしたから。

それで玄関を開けてみたら、家の外の水道管が全部切断されてて、呆然としちゃった。まさか21世紀にこういう人たちが現れるなんて思わなかったから。

それから高校に上ってしばらくしたとき、お父さんは少し借金をして、機械を2台買ったの。

みんな知ってるかな、ボルトとかナットを固く締め直す、お父さんはそういう仕事をしてたの。それでお父さんはその加工機械を買ったの。

それである人と契約をして、8か月の契約で、私にすごくうれしそうに言ったの。8か月したら家にお金が入るよって。私は、良かったねって言った。

そのころお父さんは本当に苦労して、毎朝4時に起きて、夜11時に帰ってきた。それでお母さんはいないでしょ。

あのころはまるで自分が主婦になったみたいな感じだった。

あのころはお父さんもお母さんも家にいなかったけど、すごく楽しくて、だって数か月すれば、お金が入って全てが良くなるって思ってたから。

でもまさかその契約した人が、お父さんと単なる字面のゲームをしてたとは思わなかった。

お父さんは「半文盲」でしょ。契約書が読めなかったの。

8か月後にその契約した人が、契約書を何枚か持ってきて、お父さんに652元(訳注:約1万3000円)をわたしたの。

つまり652元が、私の家の8か月分の収入っていうわけ。

そのとき本当に悲しかった。自分はそんな人になりたくないって思った。

でもお父さんは、年をとってから私が産まれたから、今もう50歳近いの。

頭が白髪まじりのお父さんが、田舎に帰って、おじいさんおばあさんにお金をもらいに行かなきゃいけないのを見てると、自分の人生を一人で生きられなきゃ、何も成し遂げられないって思うの。

お父さんをこんなふうにさせたくないって思うの。

だからお父さんはその後、私に大都市に行って欲しいって言ったの。だから私がここ(北京)に来られてとても喜んでる。

実はそのころ毎日思ってたのが、自分はこれからどんな人間になるんだろうって。

いちばん思ってたのは、普通の大学を見つけて、普通の仕事を見つけて、普通の良い人を見つけて、普通の結婚をして、普通に子供を産んで、そうやって普通に自分の一生を終えるだろうって。

でもその後、自分に特別な場所が見つかったのがすごくうれしかった。

それがここ(SNH48)。

初めて地下鉄に乗った時のことをまだ覚えてる。

二年前、杭州のオーディションの初選に参加した時のこと。それが初めて地下鉄に乗ったときだった。

そして初めてマクドナルドで食事をして、SNH48のコンサートを見に行ったの。会場の外でマクドナルドが店を出してたから。

そこで生まれて初めてマクドナルドを食べて、初めて高速鉄道に乗って、初めて飛行機に乗った。

SNH48は私にたくさんの初めての経験をさせてくれた。それが一つの魔力だと思う。

私は一度も後悔してない。

たしかに自分の家はお金がそんなにたくさんないけど、そのために自分の心や自分の体力を消耗することは後悔してない。

私はBEJ48も、みんなを引きつけるそういう魔力を持って欲しいと思ってる。

今のところ私たちはもう七期生メンバーを募集してるよね。もうすぐ七期生が入ってくる。

ここにくる目的は人それぞれ違うと思う。

ある人は人気者になるため。ある人はスターになるため。ある人は自分が好きなタレントに近づくため。

でも私は、すごくすごく48が好きだから。そのメンバーの一人にすごくすごくなりたかったから。

48系グループのために自分の力ですごくすごく貢献したかったから。だからここに来たの。

でもここに来てから、実は一度すごく迷った。

というのは、すごくすごく時間をかけて(SNH48を)攻略する方法を教わって、どうすれば書類審査に受かるか、どうすれば初選や最終選考を通るか。

でも自分がどうすれば一人のすぐれたアイドルになれるか、考えたことがなかったの。

でもこの演説原稿を書くときに、すごく考えた。

48系グループはもうたくさんのメンバーがいるでしょ。

先輩たちは最前線でずっと活躍して、私たち48系グループ全体のためにたくさんのことをしてくれている。

でも後輩である私たちは、先輩たちの成果の上に簡単にあぐらをかくわけにはいかない。

後輩だからこそ、私たちはもっと自分たちの力を出さなきゃいけない。

どんな人にも負けない意志の力を出さなきゃいけない。

命がけでダッシュしなきゃいけない。

もし私たちが後輩だからって、あきらめることを選んでしまったら、当然先輩たちには追いつけないし、それこそいちばん恐ろしいこと。

一つのグループは、上から下まで、みんなが心を合わせて協力してはじめてより良いものにできる。

みんなも私たちが素人だって知ってるよね。

私もすごくすごく素人だし。

歌を歌うと声がヒドいって言われるし、ダンスをするとみんなより覚えが遅いって言われる。

身長も高くないし、ブスだし、一つも良いところがないみたい。

でも一つも取り柄がない私でも、ずっとファンのみんなの応援と信じる気持ちがあって、無条件に私を受け入れてくれて、無条件に私を好きになってくれれば。

今までずっとそんなに自信のない人だから、こんなひどい私のことを好きになってくれる人はいないみたいだけど、でもお披露目の日に、それでも私の名前をコールしてくれた人がいた。

あのときは自分の気持ちを抑えられない人だから、ちょっとこらえきれなかった。みんな本当にいい人たちだと思った。

こんなダメな私を応援してくれるなんて本当によかった。

だから私はみんなの期待を裏切りたくない。今の私は誰よりもダメだからこそ、もっと努力して、いつの日かみんなが、ほら、馮思佳みたな人でもやり遂げられるんだって言ってくれるようにしたい。私にはやり遂げられない理由なんて何もない。

私はみんなにこういう力を与えられる人になりたい。

私たちBEJ48とチームEがみんなさらに良くなって、私たちのファンはみんな優しい人たちだから、ずっと劇場でみんなを励まして、みんなを守ってくれる。

でも今回は、みんな優しさを捨てて、戦って欲しい。

嘉興路と中泰に向かって(訳注:上海SNH48と広州GNZ48に向かっての意味)、BEJのアイドルは誰にも負けないことを証明してほしいの。

今回の速報について、ちょっと感想を言いたいんだけど、チームEは誰一人として圏内に入らなかった。

以前デビューする前にメンバーが私に聞いたのは、馮思佳、ここがどういうところか分かってるよね。私は人気が出るかな?

その時私は、分からないって答えた。だって本当に分からないから。

実はこのチームに移籍になってからずっと、温かい目でメンバーのみんなを見つめてるんだけど、私たちのチームEには十分完璧な人が一人もいない。みんなそれぞれ長所と欠点がある。まだ足りないところがたくさんある。

でもまさにそうだからこそ、この不完全なチームのことがもっと好きになるの。

もし新しく入ってすぐに完璧すぎるとしたら、みんなのいわゆる「養成感覚」がなくなっちゃうよね。

上海でレッスンを受けているとき、北京、広州の4チームのみんないっしょに毎日レッスンに参加してて、そのとき、私たちのチームが唯一、毎回、いちばん遅くまでレッスンをしてたチームだった。

そのころ上海ではずっと温かい食事にはありつけなくて、だって他の人たちに全部食べられちゃったから。だから温かい食事が食べられたときはすごく感動した。

でもそれだけたくさん努力しても、どうして私たちのチームEは歌がうまいとか、ダンスがすごいとか言われないんだろう。

それはやっぱりまだまだ私たちには欠けてるものが多いからだと思う。いまやっている努力がまだ足りないからだと思う。まだまだ足りないからだと思う。

だからもし楽屋でチームメイトたちがこの話を聞いてくれてたら、みんなに言いたいのは、私たちには今まだ欠けてるところがたくさんあると思うから、もっともっと努力しよう。

私のチームEのみんなの要求は、あえてそんなに高くしないけど、でも私の小さな望みがあるの。

(2016年)7月30日の当日(訳注:第三回総選挙の結果発表コンサートの日)、たった一度でいいから、司会者の口からチームEの名前を聞きたいの。

チームEは年齢はいちばん低いけれど、戦う決心は絶対にどのチームにも負けない。

だから今回の総選挙ではみなさんよろしくお願いします。

ありがとうございました。