上海SNH48第4回総選挙PR映像Yoko(張怡)ハムスター(嚴佼君)『未来の私たちへ』が秀逸な件

上海SNH48運営が、第四回総選挙を盛り上げるためのPVをシリーズで制作しているのだが、やっと見るに耐えるクオリティのものが出てきた。

五期生チームXIIキャプテン Yoko(張怡)、同チームXIIハムスター(嚴佼君)の、並行時空もの。

使われている楽曲はSNH48チームXII全曲オリジナル公演『コードXII(代号XII)』の最後の曲『給未来的我們(未来の私たちへ)』

これで良く出来ているとは、今までどんなんだったんだと思われる方は下記の再生リストでどうぞ。

このPVの次に良いのは、たぶん二期生チームNIIじゅうなな(龔詩淇)の『制服レジスタンス(再見制服)』だと思う。

ここからは完全にムダ話。

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YokoとハムスターのPVは、言うまでもないけれど、並行世界で同じ部屋に住んでいる二人が出会ってしまうというストーリー。

ただ、いくつか不要だと思うカットがある。

まず手首にある赤い目印を確認し合うカット。二人が違う人格でないと二人が出逢う意味がないので、同じ目印などなくてもいい。違う人格なんだから。何かのアニメか映画からパクったんだろうか?

ハムスター(嚴佼君)が電話をしても「房东(大家さん)」に通じない、というカットも不要。

ハムスターがYokoの存在する並行世界に迷い込んだわけだが、自分自身以外のすべてがYoko側の並行世界に存在するものという仮定なら、そもそも自分の持っていたスマホは消えているはず。その証拠に、ハムスターがコンビニで買ってきたはずの買い物は消えている。

自分の持っているスマホが消えずに残るなら、買い物も消えずに残っているはずだし、そのスマホはハムスターが存在している並行世界のものなので、ハムスターの世界の大家さんにちゃんとつながるはず。

「ハムスターのスマホで電話しても大家さんにつながらない」という物語は、どちらを選択しても矛盾する。したがってこのカットは不要、よいうより矛盾している。

広州GNZ48の映像制作チームなら、この2つのカットは絶対入れないと思う。あと、ハムスターに演技を抑えめにするように言うはず。

ハムスターの方がYokoの住む並行世界に迷い込んだのであって、逆ではないという設定は、ハムスターの孤独感を際立たせてすごく魅力的なのに、こういうつまらないカットが台無しにしている。

その後のシーケンスを見ても、ハムスターの方が孤独感を抱いていて、親友を探していたという演出にちゃんとなっている。

あと、二人がお互いメイクし合うカットのバックにあるテレビに流れる映像だが、なぜSNH48のドキュメンタリーを流したのか全く理解不能。何の罪もないいちご(溫晶婕)が写り込んでしまっている。

テレビは消しておけばいい。こういうカットもダメ。広州GNZ48の映像制作チームなら絶対にやらない。

後半、せっかくの物語展開が台無しになっているのは「好像没饮料了(飲み物がなくなったみたい)」「没事 我去买(大丈夫 私が買いに行く)」と、字幕を出してしまっているカット。

これくらいカット割りで十分説明できる。以下、ややクドめのシーケンスを考えてみる。

(A)最初、飲み物をカップに注ごうとするYokoの背後からのカットはいい。

(B)次に、Yokoの手元のアップで注ごうとするのに、カップが空なのを見せるカット。

(C)次に、座っているハムスター目線の高さのカメラで、Yokoの腰をなめて、ハムスターがYokoの方に顔をあげて何かを話しているカット。ピントはハムスターの顔。当然、セリフの字幕は不要。

(D)次に、立っているYokoの目線の高さのカメラで、ハムスターがYokoの後ろを横切って玄関の方へ歩いて行くカット。カメラは部屋のこちらがわギリギリから広めの画角で、ピントはハムスターの姿を追うYokoの顔。

(E)次に、同じ高さのカメラで、玄関のドアを開けて、Yokoの方を振り返るハムスターのカット。ここはYokoはいらない。

(F)次に、(D)とまったく同じ画角でYokoがハムスターが出ていったドアを見ているカット。(D)と全く同じ画角にすることがポイント。Yokoにも芝居を付けずに、ただふつうに見送るだけにする。その理由は「Yokoはここで二度とハムスターと会えなくなると思っていない」と、見ている側にわざと思わせるため。それでいてじっさいには結論を出さない。

窓際の花のインサートを入れていいのは、ここ。

なのにこのPVでは、二人の最後の別れのシーケンス、つまり(D)(E)(F)をまったく撮っていない。ここを撮らなきゃ感動も何もない。

そういうシーケンスを撮らずに、セリフを字幕で出した上に、窓際の花のインサートをするとは、やっぱり上海SNH48の映像制作チームは広州GNZ48よりはるかに劣っている。

その後もちょっと惜しい。というのは、見てる側に、最後まで二つの選択肢を残したいから。

(G)ハムスターがもう一度、踊り場で薬(?)のビンを拾うカットがあるが、ここに特殊効果はいらない。なのに特殊効果と効果音まで入れてしまっている。

これでは、この瞬間にハムスターが自分自身の並行世界に戻ったことが分かってしまい、物語の結論がここで出てしまう。何も面白くない。

(H)その次の、Yokoがカップを二つ持って、「あれ、どうして二つもあるの?一つはいらないじゃない」と、一つを置くカットも結論が出てしまうので面白くない。

この最後のシーケンスの物語は、本来は次のようであるべき。

ハムスターが二度目にビンを拾ってしまったとき、ハムスター自身は自分の並行世界に戻って、二度とYokoに会えないと一瞬あきらめかける。Yokoは、カップが二つあることについて、とくに何の疑念も持っていない。

つまり、ハムスターは「知っている」。Yokoは「知らない」という差異を作り出す。

その上で、ハムスターは二度目に拾ったビンにまだ希望があることに気づく。一度目にビンを拾ったことで、ハムスターは自分の並行世界からYokoのいる世界に移動できたのだから、ビンを拾うことが、必ずしも自分の世界にもどることを意味せず、「もう一度」Yokoの並行世界に戻る可能性もあることに気づく。

このPVのコンテを書いた人も、本来はそういうふうに見せたかったんじゃないかと思うのだが、(G)と(H)のカットを入れてしまったため、ハムスターがもとの世界に戻ったという結論が出てしまっている。

では本来どうすればよかったのかは、以下のとおり。

(G)ハムスターがもう一度ビンを拾おうとする。ここに特殊効果も効果音もいらない。

(H)ビンを拾い上げる手前で、ハムスターの手とビンのクローズアップのカット。カメラはハムスターの右側から、ほぼ地べた。ピントはビンに正確に当てて、ハムスターの手は多少ボケてもいい。背景は必ずボカす。つまりカメラの絞りは全開にする。

ここで、ハムスターの手が止まって、ためらう。このためらいは、ビンを拾ってしまうと、元の世界に戻るかもしれないというハムスターの恐れ。

そのままのカットで、やっぱりハムスターはビンを拾い上げる。これは、二つある可能性のうち、Yokoの世界に再び行ける方に賭けてみよう、という決意。

ところで、このカット、また買い物袋がない。カットがつながっていない。ここで書いている改訂版では、当然ながら最初にハムスターがビンを拾うところも、二度目に拾うところも、ちゃんとコンビニで買ってきた飲み物の袋を持たせる。

その飲み物が最初と二度目で同じという点に意味があるのだから。買ってきたものが同じだから同じことのくり返しなのか(再びYokoの世界に行けるのか)、違う可能性があるのか(自分の世界に戻るのか)の二つの可能性が生まれる。

ここで原版はYokoの室内のカットが入るが、なくてもいいと思う。Yokoのカットを入れると、どういうカットにすべきか難しすぎるからだ。

というのは、ハムスターの買い物をYokoがずっと待っているとすれば、Yokoはすでにハムスターが帰ってくると知っていることになる。

しかし買い物している間、ずっとYokoがシンクの前で立ったままなのもおかしい。原版ではずっと立っているが、これはちょっとおかしい。その間Yokoは、シンクの前でぼーっとと待っていたの?ということになる。

どちらにしても難しいので、あえてYokoのカットなしというのもアリだと思う。

あえて入れるとすれば、二つならんだカップにピントを当てて、このカップなめで、向こう側にベッドに座っているYokoがいて(つまりカメラは座っているYokoとカップの高さ)、Yokoは無表情のままカップを眺めている、といったカット。窓の外からの光で逆光になり、Yokoの表情が分かりづらくなるので良いと思う。

重要なのはここで結論を出さないこと。Yokoは「何も知らない」。

(J)次のカットは、ハムスターが二つの可能性のうち、Yokoの世界に再び行けるかもしれない方に賭ける、という決意を見せるために、ハムスターが拾い上げたビンを自分の胸に押し当てるカット。ハムスターの胸の高さ、鎖骨から下の画角で、ハムスターの顔は映さなくていい。そうすればハムスターに難しい演技を付ける必要がなくなる。カメラ固定のまま、ハムスターは階段を上がってくるので、カメラはハムスターと距離をとっておく。

最後のハムスターがドアを開けようとして、そのままフェイドアウトするカットは、これは完璧。ハムスターは二つの可能性があることを「知っている」からだ。

完璧だからこそ、ここで物語の結末を完全に宙吊りにしなければいけない。完全に宙吊りにするには、(G)で特殊効果や効果音を入れてはいけない。

以上、同じ脚本から、広州GNZ48の映像制作チームがPVを制作すれば、カットどうしのつながりという映画の基本的なルールを守った上で、おそらく文句なしのカット割り、シーケンス、かつ、結末をあえて宙吊りにしたPVを作ってくれるはず。
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