元SNH48八期生葛佳慧、退団翌日に地元新聞でSNH48の才能発掘能力を疑問視

すでに上海SNH48を退団している元八期生で、バークリー音楽大学の葛佳慧だが、中国ツイッター(新浪微博)の個人アカウントで退団を宣言した翌日、地元南京の新聞『揚子晚報』の取材を受けるという驚きの行動に出た。

『揚子晚報』電子版 2017/11/06 文化・娯楽面A12のPDFファイルはこちら。該当の部分の画面ショットは下図のとおり。

葛佳慧は幼いころから「あの家の子」(訳注:他の家の子供を指して「あの子を見習ってあんたもちゃんと勉強しなさい」と母親が自分の子をしかる見本になるような優等生の意味)だった。

4歳からピアノを始め、15歳で南京師範大学附属高校に入学、16歳で半年間クラシック声楽を学び、文化課第一位の成績で中央音楽学院付属高校声楽科に入学。19歳の年、英国王立音楽アカデミー(RAM)と、米国バークリー音楽大学に同時に合格した後、バークリー音楽大学を選んだ。王力宏やPSYが卒業した大学だ。入学後たった2年半で4年間の課程を終了、優秀な成績でジャズ作曲と現代音楽の2つの学位を取得。

去年12月、葛佳慧は同大学を繰り上げ卒業し、ニューヨークの音楽スタジオで半年間アシスタント・プロデューサとして、楽曲制作、レコード制作などを経験。その後、日本の早稲田大学の夏期短期留学に参加した。

その後短期帰国し家族と会ってた期間。SNH48に見初められ大急ぎで契約、帰国の翌日には国内で最も人気の女性アイドルグループSNH48の”八期生”となった。

今日、SNH48とTFBOYSはともに人気で商業的にも成功したアイドルグループだ。なぜ退団するのか?葛佳慧が記者に告白したところでは、当社SNHの事業モデルに興味があったが、企業文化や会社の資源と運営方式などはあまり理解していなかった。

”私はただ自分から音楽面でコラボする機会がないか郵便で問合せしただけです。その後オーディションと面接試験に合格し、会社に上海本部のメンバーとしてデビューする手配をされました。”

”同社のタレントの個人的な特性を発掘する能力についてはまだ高める余地があり、グループが専攻する方向性が違ったので、私に対してしようと考えていたことには限りがありました”そこで子供の頃からしっかりした考えのある彼女は入団初期に退団することを選んだ。

SNH48は鞠婧禕、李藝彤など話題になることが少なくない新しいスターを養成しているが、青春美少女という人物設定は葛佳慧が望んだものではなかったため、毅然として退団した。

(中略)”決して苦心して音楽に全能な人物になることを追求したいわけではありません。ただ多くの芸術形式はすべて、互いの良さを受け取ってコラボして伝達することではじめて価値があります。一人で一つのことだけに取り組むよりも、私は才能のある人といっしょにコラボする傾向があります。これも私がSNH48を離れた理由の一つで、この会社ではこういったチャンスを得るのが難しいからです”

現地ファンによれば、より細かく言うと、彼女は帰国後滞在していた北京で、北京BEJ48とコラボのチャンスを求めてオーディションを受け、合格したが、合格後に上海SNH48本部へ連れて行かれたとのこと。

本人は最初からメンバーになるつもりはなく、あくまで音楽面でコラボの機会を求めていたらしい。

おそらくSNH48グループのメンバーになったとたん、ファンが応援会を決定し、誕生日特別公演などに備えて資金集めをし、48系の独自の文化をメンバーに理解してもらうために「ファンによるアイドル育成」が始まる……などなどといったことを、まったく知らずに北京BEJ48と連絡をとったと思われる。

だとすると、いったん上海SNH48劇場の舞台に上がって八期生としてお披露目され、その後も劇場公演の歌とダンスをレッスンし、同じチームNIIで二期生の愛ちゃん(易嘉愛)とも親交を深め、運営会社からいつ公演に出られるかの連絡を待っていた、等々、入団後、退団するまでの行動には一体どういう意図があったのだろう。

2017/09/10に結成されたSNH48葛佳慧応援会は、結成2か月で解散となったが、まだ彼女の上海でのファースト・ソロライブを応援している。