上海SNH48応援会の行動理論について中国の社会学博士課程の学生さんが論文

上海SNH48ヲタを大学の論文のテーマにしている中国人がいたのでご紹介(爆)。

マカオ大学社会科学学院博士課程の馬志浩さんと、中山大学伝播与設計学院副研究員の林仲軒さん。

『粉丝社群的集体行动逻辑及其阶层形成 以SNH48 Group 粉丝应援会为例 (ファン集団の集団行動理論およびその階層形成~SNH48グループファン応援会を例として~)』(2018/06)

マカオ大学の学生さんということもあり、フィールドワークは主に広州GNZ48メンバーの応援会で行われ、北京BEJ48劇場のオフラインイベントにも参加したようだ。

ただ、残念ながら前提から間違っており、論文としてはまったくのデタラメと言わざるを得ない。エスノグラフィ部分だけを深掘りすれば価値のある論文になったと思うが。

何が間違っているかと言うと、アイドルを「公共財」とする前提だ。

その前提に立って、いわゆる「白嫖」(金を使わずにアイドルを応援するファン)を「フリーライダー」に相当するとし、各メンバーの応援会はフリーライダー問題を解決するために結成されていると論じている。そしてフリーライダー問題を効率的に解決するために、応援会が三層に階層化されているとしている。

しかしアイドルには非排除性がないので、公共財ではない。

アイドルのファンである経済主体は、アイドルのファンになることを自由意思ですでに選択しており、ファンにならなかった経済主体の意思決定に影響を及ぼさない。つまり「外部性」がない。

「外部性」がないので「正の外部性」もない。正の外部性がないので、そもそもフリーライダー問題は起こらない。

これは当たり前のことだ。

SNH48は、SNH48から便益をうけたいと思い、SNH48のファンになることを選択した経済主体に対してしか便益をもたらさない。

SNH48に何の興味も関心もない人は、SNH48から便益をうけられなくても全然かまわない。それどころか、アイドルヲタなどという奇妙な存在は「公害」ですらある。つまりアイドルはアイドル嫌いの人にとって「負の外部性」すら持ちうる。

なのでこの論文全体が論理的に破綻している。

したがってSNH48メンバーの応援会が三階層に分かれているのは、まったく別の理由からだ。

この論文で応援会の「三階層」は次のように記述されている。

「顶层粉丝」(トップ層のファン):人数がきわめて少なく、公衆やメディアの理解は非常に低い。アイドルとの親密な関係の度合いは高く、社会資本も高く、ファンに対して規範的なリーダーの役割を果たす。

「核心粉丝」(中核のファン):人数が少なく、公衆やメディアに一面的な理解をされてしまう。アイドルと中程度の親密さを保ち、ファンの規範にしたがう立場。

「边缘粉丝」(周縁のファン):人数が多く、普通の人々と変わらず、公衆に認知されている程度が高い。アイドルと低い親密度を保ち、ファンの規範に拘束されない。

この分類も質的な差ではなく、単なる量や程度の差による分類なので、あまり意味はない。単に頂点から周縁までのスペクトラムが存在するだけだ。

かつ、そのスペクトラムは応援会に内在的な原因によるものではなく、個々のファンの応援会外部の原因、主に経済力と時間の二つの資源による。

応援会に対して使える経済力と時間がなければ、いかにそのメンバーに対する思いが強くても、応援会の上層部になれない。

うん、当たり前すぎることを書いている気がする。

問題は、中国以外の国にも48系アイドルが存在するのに、なぜ中国の応援会組織はここまで「官僚制」的なのかということだ。

ここでいう「48系アイドル」とは、多数のメンバーが所属し、運営会社の有限な資源の各メンバーへの配分が、ファンの支出する金銭や時間などの資源の多寡によって決まるアイドルグループを指す。

また「官僚制」的とは、通常の官僚制の定義と同じだ。明確なヒエラルキーがあり、職務が専門的に分化され、組織への貢献度に応じて報酬が与えられるなどの特徴をいう。

中国のSNH48各メンバーの応援会は、明らかに官僚制的である。(上層部にときどき「腐敗」が起こるという官僚制のマイナス面もふくめて)

素朴な疑問として、なぜ日本のAKB48グループのメンバーの応援会は、中国ほど官僚制的に高度に合理的な組織にならないのか。

日本のアイドルヲタの風景は、イベントがあるとそのときだけゆるいチームとして行動するだけで、その他はたまに集まってオフ会をする程度で、普段は別々に個人として応援を楽しんでいる、といったものだろう。

中国のSNH48メンバーの応援会のように、つねにチャットソフト「QQ」の応援会のチャットサークルを開いていて、応援するメンバーが中国ツイッターでツイートしたり、公式アプリに書き込みをしたり、生放送を始めたりするたびに、応援会が開発したプログラムが自動的にチャットサークルに通知を表示し、チャットサークルの管理責任者(群管理員)がチャットサークル内の発言量をコントロールしたり(いわゆる「禁言」)、賞罰情報を共有したり、総選挙などの投票イベントではクラウドファンディングサイトで集金したり、他のメンバーの応援会と資金集めの競争企画を実施したり・・・・・・。

日本人ファンからすると息苦しくなるほど、きわめて合理的に組織化されている。それが中国の48系アイドルグループの応援会だ。

この違いがどこから来るのか。

それこそ社会学的に議論する価値のある問題だ。

筆者の仮説は、中国人は官僚制の基礎理論と実践を十分に教育されており、個人的な信頼関係がない個人が集まって組織を作るとき、さまざまなリスクを回避するための組織を官僚制の形式で作るのが、社会的コストがもっとも低いからだ、というもの。

社会的コストが低いという意味は、組織の構成員になる個人が、すでに合目的的組織の作り方として官僚制組織の理論を共有しており、いちいち作り方を教える必要がない、ということだ。(合目的的でない組織を作る場合は、中国人は官僚制を選ばないだろう)

これが日本人の場合、官僚制組織ではなく「部活型」組織になる。

「部活型」とは合理性も分業制もなく、単に組織に参加した時間の長短でヒエラルキーが決まり(先輩・後輩)、組織内の資源の配分も特定の人物により恣意的に決まるような組織のことだ(声の大きな人が意思決定する)。

日本人ならほとんどが学生時代に「部活型」組織を経験しているので、このタイプならいちいち組織の作り方を教えなくても、社会的コストを低く組織を作れる。

日本人も中国人も、社会的コストが低い組織の作り方を選んでいるだけで、たまたま子供のころから「教育」されているのが官僚制か、「部活型」かという違いがあるだけだ。

(結果として、組織の作り方に教育コストをかけない日本企業は「部活型」になってしまうのだが・・・)

AKB48総選挙のいわゆる「中華砲」も、中国人の中間層の経済力の他に、応援会が特定の目的を達成するために効率的に(つまり合目的的に)組織されていることも大きな原因になっているのではないか。

・・・といったことを、ぜひ論文にしてほしいなぁと思った(汗)。