上海SNH48チームSII、注目の全曲オリジナル公演第二弾『第48区』PR映像が公開された。
タイトル曲『第48区』は、SNH48 16th EP収録のチームSII曲。
ここから先は筆者の独断と偏見によるツッコミなので、読み飛ばして下さい。
上海SNH48の映像作品は、やっぱり広州GNZ48と比べるとレベルがガクンと落ちる。
これから始まる公演に、関係者全員が胸を張って臨めるように、宣伝の品質は維持してほしい。映像制作のプロなら。
広州GNZ48チームNIII全曲オリジナル『第一人称』のPR映像はこちら。
『第一人称』PR映像の画面アスペクト比を測ってみると2.35:1で、ちゃんとシネスコサイズになっている。劇場映画ではパナビジョンが最大2.4:1ともう少し広いものがあるようだが、通常のサイズだ。
それに対して、上海SNH48チームSII新公演の今回のPR映像のアスペクト比は約2.76:1。ひと目見れば、画角が広すぎると分かる。こんなサイズの映画は存在しない。
ちなみに広州GNZ48一周年記念MV『たんぽぽの足跡(蒲公英的脚印)』MVのアスペクト比は2.38:1で、伝統的な劇場映画のアスペクト比に収まっている。
画面のアスペクト比なんてどうでもいいと思うかもしれないが、過去の劇場映画が一定のアスペクト比内で作られているということは、それに沿った画角やカメラワークなどの技術蓄積があるということ。
その技術蓄積を無視するということは、そもそも技術の基礎知識がない証拠。
また、最初のシーケンスの辻褄が合っていない。
椅子に座って意識を失っているmomo(莫寒)へつながるカットであれば、最初のシーケンスはmomoの主観映像(見ている夢など)か、momoを取り巻く風景描写のどちらか。
前者ならピンぼけ、後者ならピントは合っていないとおかしいが、後者なのにピンぼけの技術が使われており、意味不明。
momoが目を覚ます直前のネガ処理された素早いカットつなぎ部分だけは正しい。これは主観映像だから。
その次、momoが足元の懐中電灯を拾い上げるシーンが、何とつながっていない。極めて基本的なミス。
↓momoが懐中電灯を拾い上げる前。目覚めるまでこの脚の位置は動かないはず。
↓目覚めたばかりのmomoが、懐中電灯のストラップ部分を踏みつけていることに気づく。ということは、先ほどの脚の形のままのはず。
↓気づいて足をのかせて、momoが懐中電灯を右手で拾い上げているが、よく考えてみてほしい。
一枚目のカットの両脚の位置のまま、右足で踏みつけていた懐中電灯を持ち上げるには、体を二つに折り曲げる必要がある。
しかし懐中電灯に伸びた手は、真っすぐ伸びている右脚よりも外側から画面に入ってきている。
この体制をとるには、momoはすでに椅子から立ち上がっている必要がある。
このように、冒頭のカットからして、いきなりつながっていないという凡ミス。
その後画面が乱れる効果は意味不明。momo自身の主観ショットの比喩か、第三者の主観ショットかのいずれかしかないが、momoはここではっきり目覚めている。
ということはmomoの後ろから誰かが追ってきており、その人物の視界が異常をきたしている描写になる。
しばらく後に、momoの背景を黒いパーカーのフードをかぶったキキが横切るが、このキキはmomoの存在に気づかず小走りで画面の左側にすぐ消える。momoを追いかけている人物は存在しない。
やはりカットがつながっていない。
またその少し前、momoが建物のドアを遠くから不審げに見つめる。
このカット、momoは日の当たる場所に立っており、ドアのある玄関はひさしが日光を遮って陰になっている。
直後、momoを正面からとらえるカットで、momoがいきなり日陰に入っている。しかも上方を見上げている。まったくカットがつながっていない。
次のシーケンスで、先ほど、momoを驚かせたキキも、何かを探して走り回っているので、なぜmomoの背景をキキが横切った時、効果音と同時にmomoが驚いて振り返ったのか、演出意図が不明。
少し後、マオマオの背後にまた黒い影が小走りで横切り、マオマオが気配を察して振り返る。「だからその黒い奴、お前は一体誰なんだよ」と言いたくなる。演出意図不明。
後続のシーケンスも、ドローンから真下を見下ろす俯瞰ショットも含めて、ことごとく意味不明。
要するに、カットのつなぎ方さえよく分かっていない素人作家が、とりあえずサスペンス的な雰囲気だけ出したいために、ありがちなカットを脈絡もなく、頭を使って考えずに、単につないでいるだけ。
そのサスペンス的な雰囲気も、ほぼ100%がBGMによる効果。映像面での工夫はまったくない。
例えば、メンバーたちが誰かに追いかけられているという錯覚を共通して持っているなら、冒頭のカットから一貫して、架空の人物の主観ショットをところどころに入れて、その主観ショットがつながっている、という風に撮るべき。
最後に、じつはそんな主観は存在しなかった、というオチにすれば、このPR映像のとおり、最後は笑顔になるというストーリーとも一致する。そういうことを全く考えていない、かなり頭の悪いPR映像。
で、最後に笑顔になるシーケンスだが、このカットを見ると、仲間を見つけたことに安堵していることが分かる。
↓そしてみんな出会って喜んでいるはずのシーンが、なぜこんなロングショットなのかも演出意図不明。
じゃあ、そもそも冒頭のシーケンスでmomoが眠っていたか、気絶していたか知らないが、あれは何だったんだよ、と言いたくなる。眠っている必要は全くない。
単にmomoが友だちとはぐれて、怪しい廃屋に迷い込んでしまった、というシーケンスで十分。
もう一つツッコミたいのは、メンバーたちが、なぜ全員示し合わせたように懐中電灯を持っているのか、ということ。
仮に、意図せず廃屋に迷い込んだのなら、懐中電灯なんて準備していないはず。
逆に、意図して廃屋に踏み込んだのなら、momoが眠っている(または気絶している)シーケンスは完全に不要だし、メンバーたちは他のメンバーを探しているシーケンスである必要がある。
にもかかわらず、壁にかかれた意味不明の(というより新公演『第48区』の、人間の心臓をデフォルメしたロゴなのだが)を見つけて、レンレン(吳哲晗)が喜んでいる下図のカットが意味不明。
このマークを見つけることも目的だったのなら、なぜその後のシーケンスで仲間と出会ったことに、下図のカットのように喜ばなくてもいいはず。
そして次のカット。はぐれていた仲間とふたたび合流できたのがそんなに嬉しかったのなら、下図のカットで、どうして建物からバラバラに出てくるのか、意味不明。
ここは同じ扉からいっしょに出てくるべきだろう。しかも、懐中電灯を使う必要があるほど、暗い建物の中からいきなり外へ出てきたのだから、普通の人間の反応として、誰か一人くらいは手で日差しをさえぎって「まぶしい」芝居をするように、演出家は演者に指示すべき。
このあたりも、ただ何となくカッコいい映像を作りたいだけで、映像制作の基本が分かっていない頭の悪い演出家だということがバレバレ。
↓そしてこういうサブリミナル効果的なカットが「カッコいい」という、とんでもない勘違いをしている。
↓しかも同じカットで2回も同じことをやっている。こんな演出をして恥ずかしくないんだろうか。
↓だからこうしてキキが微笑みかけて、レンレンと手を取り合うなら、上述のように、当然建物から出てくる時点で、同じ扉からいっしょに出てくるはずだろう。演出観点からもシーケンスどうしが全くつながっていない。
で、懐中電灯はどこへ捨ててきた?勝手に懐中電灯を捨てるなよ。
いつの間にか小道具が消えている。ここもつながっていない。とにかくカットのつなぎが粗雑すぎる。プロの映像作家なら、小道具まできっちり辻褄が合うようにカットをつなげるもんでしょ。
そして次のシーケンスは、ここまでのカットとまたつながっていない。
建物から出てきて、横に一列にならぶというシーケンスの後に、なぜまたバラバラになるのか。完全に意味不明。
↓ついさっき、キキと手をつないでいたレンレンが、どうしてマオマオと二人だけで歩いているのか。
↓だから、さっきまでいっしょにいたタコちゃん(張語格)がどうして消えてるんだよ。ここもシーケンスがつながっていない。
で、他のチームSIIメンバーと再会できて喜んでいるということは、ポイントは、最初の7人(Bちゃん、マオマオ、ダイモン、momo、タコちゃん、キキ、レンレン)を含めて、残りのみんなと合流できた喜びがテーマなわけでしょ。
上のこのカットで質問したいのは、向こう側からやって来たメンバーたちは、なぜ懐中電灯を持っていない?全員が得体の知れない廃墟に迷い込んで、仲間を探していたという設定だとしよう。
ならば、向こうからやってきた仲間たちも、薄暗い廃屋の中を進むために懐中電灯が必要だったはずだろう。
全員が、再会する前に、都合よく全員、一人残らず、懐中電灯をどこかへ捨ててきたということか?まったく辻褄が合っていない。
ところで、遡って、廃屋内でBちゃんが拾った、この誰のものでもない懐中電灯、いったい誰の懐中電灯だったんだよ!
回収をするつもりもない伏線なら、張るなよと言いたい。つまりこのカットの直後、単に観客を何の脈絡もなく驚かせたいためだけのカットで、前後のつながりを全く考えていないわけだ。演出家の頭の悪さがよく分かる。
分かってる。タコちゃん(張語格)は別の撮影で、後半のシーケンスの撮影に参加できなかったことくらいは分かっている。
だって、タコちゃん(張語格)が参加しているシーケンスだけ、屋外のカットが曇り空で、その他の屋外のカットは明るく晴れている。屋外カットの天気がつながっていないんだよ!!
ということで、最後の決めのカットの中心メンバーは、やはり6人だけ。タコちゃん(張語格)不在。
この演出家、これだけ大量の演出ミスや、カットつなぎの間違いや、シーケンスの矛盾なんて、見ている奴らはどうせ気づかないだろうと、観客を舐めてかかっているわけだ。
この演出家のプロ意識の欠如を以上のように見てくると、広州GNZ48の映像制作陣が、どれだけ制作者としての「良心」があるか、観客のことを舐めてかからず、細部のカットのつなぎまできっちり作り込んでいるかがよく分かる。
上海SNH48の映像制作陣は、この程度の長さの映像の、各シーケンス、各カットを、絵コンテ段階でちゃんとつなぐ実力がないなら、最初からSNH48チームHII『Beautiful World』程度のPR映像を作っておけばよかったのに。
実力以上のことをしようとして、恥ずかしいほど品質の悪い作品を作るもんじゃない。