瀋陽SHY48メンバーが内部審査でポジションの入れ替え、退団を決意するメンバーも

どうやら瀋陽SHY48で2017/06/07に内部審査が行われ、意外なメンバーが格下げになったらしい。

(たしかAKB48で内部審査にあたる用語があったと思うが、筆者はAKB48ヲタではないので、ふつうの日本語を使うことにする。現地の中国語では「考核」)

瀋陽SHY48チームSIIIについては、上海SNH48チームSIIのお下がり公演『心の旅程』の千秋楽を間もなく迎える。その後の新公演に向けて、内部審査が行われたようだ。

どのメンバーが新公演で格下げされたかは、最後に書く。中国2ちゃんねる(百度貼吧)の元スレッドはこちら

まず、瀋陽SHY48チームHIII Koko(寇承希)が2017/06/07 19:48に下図のようなツイートをしている。

ごめんなさい。私は十分良くなかった。みんな今後は私をフォローしなくてもいいよ。
こんなことを言うのは無責任だと分かってる。でもこの場所で、私は決して優秀じゃない。
みんなが好きになってくれる気持ちにつり合わない。私のことが好きな人は多くないけれど。
でも本当にみんなのことが惜しくて惜しくて惜しくてたまらない。
私のために準備してくれたことも、全部中止してね。

彼女がこのツイートのコメント欄に自分で書いているのは、「何ていうか、ここはメンバーに資格があるかどうかをどうこうする場所じゃなくて、メンバーに資格を与える場所だということ(怎么说呢,这里不是一个管你有没有资格的地方,而是一个给你资格的地方)」ということ。

その後のツイートで、「ファンのみんなが資格という意味だよ」と書いている。

つまり、SHY48という場所は、運営会社が、各メンバーにファンがどれだけいるかに基いて評価をするのではなく、運営会社がどのメンバーに資格を与えるかを決める、ということ。

ファンのみんながいくら応援してくれたところで、決定権は運営会社にあるので、今後は応援してくれなくてもいい、応援してくれてもムダになるから、という意味になる。

同じ瀋陽SHY48の陳婧文は、長文ツイートで以下のように書いている。『心の旅程』公演の千秋楽をもって退団するようだ。原文の画面ショットはこちら

「お別れの日が来る前に、私たちの笑顔を忘れないでね。きっとまた会える日が来て、また愛の原点に戻れるから」

今日は2017/06/08、私が2016/10/29に入団してもう丸222日。新しくした寝室のインテリアもだんだん新鮮味がなくなって、最初に来たときのみんなの笑顔も私の記憶の中でゆっくりとぼんやりしてきた。

宿舎の部屋のものが少しずつ増えて、知らない間にもう私の第二の家に変わった。でも見たところ、やって来たばかりの頃と比べて、明朗さや、爽やかさは少なくなったように思う。

第四回総選挙速報まで 10日
第四回総選挙中間発表まで 31日
第四回総選挙最終発表まで 51日
誕生日まで 318日
初公演から 147日
デビューから 152日
入団から 222日

まだ覚えてるのは、オーディションの最終選考が終わった後、祝賀会でもらった花束をもって、他の人から変な目で見られながら飛行機で無錫の空港に着いたときのこと。

もう明け方になっていて、家族にもずっと話していなかったから、本当に空港で私を迎えに来てくれる人がいるかどうか分からなかった。あの時、スマホの電池は残り5%、充電する場所も見当たらずに、お財布にも一元札が二枚だけ。

空港の冷たい椅子に座って、寒いしお腹はすくし、でも目の前のコンビニでインスタントラーメンを買うお金もなかった。

幸運なことに、お父さんが迎えに来てくれて、家族の考え方も固くて、仕方なく妥協した。お父さんは連夜、私がついこの間まで一ヶ月余り通っていた寧波の某大学に車で送ってくれて、休学手続きをしてくれた。時間を省くために、その日のうちにまた車で家に帰った。

あの花束は、私と一緒に瀋陽から無錫、無錫から寧波、また寧波から常州へと移動した。

デビュー後、私は何度も花を受け取った。でもあのときの花束が、私にとっていちばん意義深いものだった。私が人生で初めて受け取った花束で、観客の立場から舞台の上に立つチャンスをついに手に入れたという意味だった。

当時、幼稚で衝動的だった私は、胸いっぱいの熱い思いで江南地方から東北地方へやって来て、私を止めようとする全ての人への思いを振り切ってきた。

子供の頃から鼻が悪くて、鼻炎や鼻甲介肥大や鼻ポリープなどなどいろんな病気をして、7、8歳から耳鼻咽喉科に通って、先生の黒い口ひげが白くなるのを見とどけた。大学入試の後ようやく手術ができる年令になって、耳鼻科の手術をうけた。

術後、先生は何度も北の地方に長居しないように言った。北の方は乾燥して私の鼻が持たないから。そこで北京や天津の大学入試はすべてあきらめて、おとなしく実家の地域にとどまることにした。

でも10月末に、東北地方にやって来るとは思いもしなかった。あの時の私は、ここでどんなチャレンジでも努力でもしようと思った。やって来たばかりの頃、確かにこの土地は合わなくて、乾燥のせいでマナーレッスンのときもう少しで倒れるところだった。

でも私は恐れなかったし、引き下がりたくもなかった。頑張れば自分の夢を実現できると信じていたから。

家族の反対にはいろんな理由があった。その中で私のお母さんがいちばん反対したのは、家にいて学業をする人が多いのに、娘が人前に出て、人から指図されることを望まなかったから。

ここへ来る前、私の人生はただ「勉強」の二文字だけで、「5日授業に出て1日半補修に出る」というのが以前の私の生活の全てだった。でも私は毅然としてここへやって来た。そういう平凡で何の波瀾もない生活を送りたくなかった。

江南地方の女の子が、どうしてはるばる東北地方までやって来たのか、不思議がる人がたくさんいる。実際、私には自己中心的な考え方があった。

あのとき、他の3グループはすべてメンバーがいっぱいで、入団しても必ず補欠になることが分かってた。私は自分が歌もダンスも何一つ秀でたものがないとよく分かっていたけれど、舞台に上がるチャンスが欲しかったから、新しいグループに入らなきゃと思った。

開拓者になるのは難しいけれど、私は恐れなかった。私が入団したのはそれほど大きな野望があったわけじゃなくて、最初の夢は、星夢劇院の舞台に立つことだけだった。

一期生は必ず苦労するけれど、私はそれを望んでいた。というのは、ある先輩が私に話してくれたから。「先輩になる唯一の利点は、自分だけのポジションが持てるということだよ」

私には今まで完全に自分だけのポジションというものはなかった。『心の旅程』公演の16番ポジションは二人で一緒にレッスンして、最初の名簿に私の名前があったのは、ただ幸運だったというだけ。それでも十分に感激したし、とても光栄に思った。

また覚えているのは、初めて劇場でリハーサルをしたときのこと。ホルムアルデヒドで鼻がむせて我慢できずにひっきりなしに咳をして、スタッフの先生に防毒マスクを付けたらどうと言われるくらい。

あのとき内装が未完成で、舞台の上にはホコリがたっぷりたまって、少し歩くと滑って倒れそうだった。でもメンバーのみんなは奮闘してダンスをしていた。

昨日、先生が私に訪ねたのは「入団してからいちばん印象深かったことは何?」ということ。しばらく考えて、この6月6日、私を崩れ落ちさせた一日に起こったすべてのことは、いちばん印象深いことじゃないと気づいた。

それで最後に答えたのは「SNH48リクエストアワー・ベスト50でデビューしたあの日です」と答えた。というのはあの日、メンバーのみんなが2か月あまり集団特訓した後、やっと舞台でみんなに会えた日だから。メンバー一人ひとりが期待に胸をふくらませて、希望に満ちていた。たとえメイクをしたまま、コンタクトも入れたまま20時間あまり忙しくリハーサルをしても。

まだ覚えているのは舞台に上る前、通路で待っているメンバーのみんなが絶えず涙を流して、抱き合って泣いていたこと。18人の『時差のパスワード(時差密碼)』は、おそらく二度とないでしょ。

(訳注:『時差のパスワード』は上海SNH48チームSII全曲オリジナル公演『心の旅程』の一曲。選抜の16人ではなく、補欠メンバー含めて18人でパフォーマンスするのは、このお披露目の一回限り)

チームSIIIは最初18人で、瀋陽星夢劇院の開業を見とどけて、私たちと一緒にホルムアルデヒドを吸った最初のファンのみんなを獲得して、みんなが私のファンかどうかに関わらず、ファンのみんなが最初から私たちと一緒にいてくれることを選んでくれたことに、感謝の気持ちでいっぱいになった。

私のファンはずっと多くなかったけれど、みんな私にとても良くしてくれて、ずっと私とともに歩んでくれた。本当にみんなにとても感謝しています。ずっと私を支えて、私にしてくれたことにありがとう。私から離れずにいてくれたことにありがとう。

もしみんながいなければ、私はとっくにダメになってた。私は気持ちを伝えるのがうまくないけれど、みんなが私のためにしてくれたことは、ちゃんと分かっているし、永遠に忘れない、忘れるつもりもない。

私は本当に幸運だった。デビューたった100日で、誕生日公演があったし、しかも100日記念公演と同時だった。自分の好きな曲をたくさん歌ったし、思い残すことは何もない。あの日、みんなにたくさん話しをして、やっと思いの全てをみんなに話すチャンスを得て、本当にうれしかった。あの日、私が入団して以来いちばんうれしい日だった。

先日、幸運にもチームを連れて広州巡回公演をすることもできた。広州では、たくさんのことを勉強した。光栄にも何人か新しいファンもできた。

広州で、初めてファンの人から撮影した写真をもらった。初めて誕生日公演以外で歌詞に割り振ったとても大きな声のコールをもらえた。

初めて二時間にもおよぶ全員握手会に参加して、初めてツーショット会、サイン会をして、初めて短いバラエティー番組を撮影した。とても光栄だったのは、自分の好きな先輩のサインの横に、自分のサインを残せたこと。

デビューしてからの152日、片時も私が受けた愛や、栄誉や寛容さに感謝しないことはなかった。ときどき、みんなが好きでいてくれることに自分がつり合わないと思った。でも不安に思うことはなかった。だって、みんなを信じてたから。

「記憶は本来はとても美しいもの。過去をすべて過去にできさえすれば」

たぶんプレッシャーがあったんだと思う。ずっとよく眠れなかった。いつも夜が明けるまでぼんやりとベッドに座ったままで、眠くてたまらないのに夢に入ることもできなかった。

家族もたびたび戻るように言ってくるし、自分の知的レベルが退化してるとはっきり感じたし、休学期間も間もなく終わるし……こういうことがプレッシャーで深呼吸もできず、私を崩れさせるのに十分になった。

たぶん今回の会社の決定は確かに少し普通じゃない。私の48系グループに対する考え方を転覆させたから、私がグループにいる意味を少し疑うようになった。

補欠は基本的に舞台に上がるチャンスがないポジションで、総選挙前も総選挙後も含めてオリジナル公演前にみんなに会うチャンスをすべて失うことになる。

瀋陽星夢劇院の舞台には、もう私を受け入れる場所がない。そして9月には、私は学校に戻って軍事訓練に参加する必要がある。そしてそれ以降、本来両方を掛け持ちしなければいけない私が困惑した状態になってしまっている。

(訳注:中国の学校の「軍事訓練」についてはNAVERのまとめサイトなどを見て下さい)

ときどき、私たちは大人の言うことを確かに聞く必要があるかもしれないね。お母さんはずっと私のことを頑固者だと言って、勉強するだけのシンプルな生活に慣れてしまっているから、この職業に合っていないと言っていた。

本当に私がバカ過ぎたのかもしれないね。公演ではカメラを見る以外には、たまに自分の数人のファンがうれしそうに笑っているのを見られるだけ。面白い人にもなれない、私は無能だ。

「僕らはずっと奮闘してきた」

「世界を変えるためじゃなくて」

「世界が僕らを変えないようにするために」

しかも、私の技術レベルは確かに劣っている。お母さんがずっと私の体が硬いのは遺伝だから、生まれつきのものは変えられないと言っていた。でも私はそれを信じず、ダンスのレッスンをたくさんすれば体は柔らかくなると信じていた。でも事実は決して思いどおりにはいかない。

実は「ロボット」というあだ名は、とっくに私のあだ名になってた。子供の頃、卓球を練習していたとき、体が硬すぎて先進的なテクニックを身に着けられなかったので、それに専念しなかった。

その頃チームメイトの親御さんが私のことを「ロボットちゃん」と呼んでいた。はは、それから何年もたって、またこの親しみのあるあだ名で呼ばれるとは思わなかったよ。

実は私はあだ名が好き。みんなが私につけてくれたあだ名だから。私はうぬぼれているのかもしれないけれど、でもこのあだ名にはちょっと溺愛されている感じがあるから。でしょ?でも、私はやっぱり、このあだ名から抜け出したいと思っている。

じっさい誰でも気分がすぐれないときはあるよね。ここ数日気持ちが落ち込んでいるメンバーが少なくなかった。でも時間が悲しみを洗い流して、みんなが新しい世界へ歩み出すのをリードしてくれる。

これは優勝劣敗だと、多くの人が言う。うん、どうやら間違いなさそう。二期生は確かに優秀で、もしずっと一期生の補欠のままなら、たしかに息が詰まるし不当だと思う。結局みんな本来は2チームの補欠入りするなんて思ってなかったから。

でも私は「優勝劣敗」の4文字が48系グループに存在すべきだとは認めたくない。

私の運営会社に対する貢献は、会社が私を養成するときにしてくれたことと釣り合わないし、私は本当にポジションを手に入れて放さない、なんていう資格はもうないのかもしれないでしょ。どうしても他人にチャンスを与えてみて、もっと効率が上がるか見てみるべきだ、ということなのかもしれない。

二期生は一期生と比べてたった半年遅れて入ってきただけだから、実は、たしかに先輩後輩の区別はそれほど大きくない。一期生を選択したのは私自身が決めたことだから、一期生に選ばれた私は光栄だけれど。

「傷つくのは悪いことじゃない。君が何かをやろうとしたことの証明だからだ」

まだ覚えているのは、契約書に署名するときの決断。18人で夜中すぎまでレッスンをしてもまだ楽しく笑い話ができたことも忘れたことはない。私は自分のしたことを後悔しちゃいけないと、自分に言い聞かせている人だから。たとえ困難に出会っても恐れることはない。

私は自分が最初に決断したことを後悔していない。ここで得たすべての喜びは一生回想する価値がある美しい想い出だから。ここで受けたすべての苦痛は人生の鍛錬だから。

これから、私はただもっと強くなって、もっと勇気を持って、普通の人よりもっとプレッシャーに負けないようになって、以前よりもっと感謝と満足を覚えるようにする。

私がいちばん後悔していないことは、やっぱりここにいたおかげで、みんなに会えたこと。何の理由もなく、心から私に良くしてくれたみんなのこと。私は全く後悔してないのは、ただみんなと知り合えたことだけ。

もう決まったこと。私はこれ以上みんなに感謝できることはなくなった。ただ残りの6回の公演で、私のことをしっかり見てね。私もみんなのことをしっかり見るから。

それ以降のことは、誰にも分からないよね。でも私は、楽しく、笑いながらみんなといっしょに千秋楽まで歩むことを保証するから。

みんなありがとう!

瀋陽SHY48チームSIIIの他のメンバーが、今回、新公演が始まる前の内部審査でどうなったかは以下のとおり。

楊肖と張儒軼は、補欠に格下げ。

SNH48 16th EPの水着MVに起用されたフェイフェイ(盧天惠)は、ポジション格下げ。

付紫琪も格下げ。ずっと自分の身長が低いことを自虐ネタにして、かなり面白いメンバーなのだが…。

李慧もポジションを格下げ。

双子の姉妹、ラーラー(劉娜)、チャオチャオ(劉嬌)も格下げ。劉嬌はチームHIIIと兼任して一週間で連続4公演も出演したり、二人ともMCではまとめ役をつとめたり、貢献度はかなり大きいと思うのだが…。

ちなみに2017/06/07夜の運営アプリPocket48の生放送で、ぴーぴー(關思雨)、ラーラー(劉娜)は二人とも泣いていた。

瀋陽SHY48はデビューからまだ半年も経っておらず、できたばかりの姉妹グループだが、すでに一期生で退団を決意するメンバーが出てきているということで、厳しいけれど、早めに人生をやり直せるならやり直したほうが良いと思う。

上海SNH48チームXIIの鄒佳佳(ゾウ・チャーチャー)のように、自傷するまで追い詰められる前に…。