上海SNH48二期生愛ちゃん(易嘉愛)が葛佳慧と共演希望でファンから総攻撃

上海SNH48二期生チームNII愛ちゃん(易嘉愛)が、次の「星夢ミニライブ」2017/09/22(金)の出演者に決まったが、またまたチームNIIファンがやらかしたようだ。

この企画は上海SNH48星夢劇院併設カフェで、メンバーがソロでミニライブを行うというもの。

とにかく上海SNH48チームNIIの一部のファンは、自分のプライドを満たすためにメンバー自身まで追いつめてしまう。

先日もネットバラエティー番組の「万年第二位」という単なるネタに、マジで怒った一部の幼稚なカチューシャ(李藝彤)ファンが、最終的に同じチームNIIの愛ちゃんやルーリー(曾艷芬)まで攻撃し始めたということがあったばかり。

今回のきっかけは、愛ちゃん自身がミニライブに例の秀才音楽少女、バークリー音楽大学卒の同じチームNII新八期生・葛佳慧をゲストとして呼びたいと書いたこと。

それに対して、愛ちゃんのファンが葛佳慧に集中攻撃を始めた。

↓こちらが運営会社の愛ちゃん出演予告ツイートと、それに対する愛ちゃんのコメント。

スタッフに質問したら、もともと葛佳慧を招待したかったけど、葛佳慧はお披露目だけでまだデビューしてないので、この種のイベントに参加できないという回答でした。でもmini liveは今後もチャンスがある。だから今後またコラボすればいいよね!

(訳注:次のコメントまで、約4時間)

私は誠心誠意、みんなに良いパフォーマンスを見てほしい。みんなはそういう言葉で私の友だち(訳注:葛佳慧のこと)の議論をしないでほしい。みんなが議論を始めた出発点は好意からだと分かってる。協力ありがとう。

私は自分が好きなもの(訳注:ここでは葛佳慧のこと)はみんなに紹介する。みんなに議論して欲しいわけじゃない。みんなに受け入れて欲しい。私はみんなのことが好きだから。

上の4時間の間に、現地ファンの一部が中国2ちゃんねる(百度貼吧)や中国ツイッター(新浪微博)で、「愛ちゃんのソロライブをじゃまするのか!」と葛佳慧を集中攻撃し、たまりかねて愛ちゃんが21:33のコメントを追記したという背景。

ちなみにその下に、広州GNZ48チームNIIIナオナオ(盧靜)が「わ~すごい!」とコメントし、愛ちゃんは「ありがとうナオナオ」と返信している。

こういう愛ちゃんの優しさや寛容さはとても大人な対応だが、彼女自身の幼稚なファンが台無しにしている。

この件について愛ちゃんは、公式アプリPocket48の「メンバーの部屋」でも下図のように書いている。

みんなの気持ちが分からないわけじゃない。でもどうして一部の人は、私がゲストを呼んでいっしょに一、二曲歌うだけで、あんなにものすごく意見するのか分からない。

たくさんの人の気持ちは全部読んで、理解もできた。でもよく分からない非難をして、私に向かって恨みを抱いてる。まるで私がすべてのひとが望むような人になっちゃダメみたいじゃない?

みんな私の優しさが好きだと言ったり、私の優しさが嫌いだと言ったり、私はどうすればいいのか分からない。みんなを困らせてしまったことは本当に申し訳ないと思ってる。でも私にも自分の気持ちというのがあって、普段はみんなに怒るようなことはない。みんなお互いを許そうよ。

もしディスりたい人か、私のファンじゃない人なら、私はそもそも何の返事もしない。でも私が気にかけて、私が愛してるファンのみんなだからこそ、お互いもう少し理解し合いたいと思ったの。

一部の愛ちゃんファンは、誰からも好かれる愛ちゃんではなく、自分だけの愛ちゃんになって欲しいらしい。幼稚な独占欲で自分のアイドルを困らせて何がうれしいんだろうか。

現地ファンのこういう傾向は、人気メンバーほど強いように見える。

おそらく人気メンバーは総選挙の上位メンバーで、大金を払って投票したファンが多いからだろう。

大金を払って投票したファンは、「消費者」として自分が金を払った「商品」が自分の思い通りになることを要求するようだ。

アイドルに向かってああしろこうしろと説教するファンは、地下アイドル界隈でよく聞く話だが、これはアイドルを愛してるんじゃなくて、「アイドルに影響力をもてる自分ってすごい!」という単なる自己愛だ。

愛ちゃんのように自分の考えがしっかりしている人は、今回のようなことも上記のように適切に対応できる。先日のカチューシャもそうだ。幼稚なファンよりアイドルのほうが「大人」ということ。

考えがしっかりしておらず、精神的にタフではないメンバーは、自分自身のファンに追いつめられ、精神的に不安定になる。最近のSNH48グループでたびたび見かけるパターンだ。

本来「育成系アイドル」は、ファンがアイドルを育成するものだが、アイドルがファンをたしなめて育成するという笑えない事態になっている。