上海SNH48二期生チームNIIルーリー(曾艷芬)が、公式アプリPocket48のメンバーの部屋で以下のようなことを書いていたらしい。日本語試訳する。
ファンとのQ&Aになっているので、ルーリーの発言は「R:」、ファンの質問は[F:」とする。
R:何ていうか、ファンの中でまた人気が出てきているけど、私たち小さなサークルはやっぱり小さなサークルで、最初から最後まで業界に認められていない。
若いグループタレントは次々出てきて、ファンに依存しているけれど、私たちも他の人にはおよばない。少なくとも性格の面ですでに不利。
しかも私はもうみんなに苦労させたくないと話した。私は自分の力を頼みにしたいと思ってる。ファンのことなど気にしないということじゃなくて、別の方向へ努力する必要がある、というだけ。
いまの番組はほとんどが前にコラボしていてい、効果が良かったからまたお呼びがかかった。
ある番組のディレクターが私に言ったのは、まず私にオファーしたということ。私たちの会社に、メンバーの中でいちばん面白い人を出演させたいと言ったらしい。少なくとも私たちをまた呼ぶときは、二度と男性の観客に気に入られるためではない。
花瓶みたいにあつかって可愛こぶらせるためでもない。先入観を消して、私たちが単にオタク男子にしか熱狂的に好かれていないという偏見を消すためだって。
私は普通の観客にも良くしたいとがんばってる。コラボしたことのある先生たちにも、番組制作スタッフにもよくしたいと思ってる。ほんとうの意味で私たちを認めてもらって、世俗の偏見で私たちを見てもらわないようにがんばってる。
もしずっとファンのことを気づかって自分を束縛すれば、他人の先入観をますます深めるだけになる。
当然現状は、総選挙のランキングが私たちにとって重要だけれど、私はがんばってるし、もう少しだけがんばる。そうすればきっとみんなをそんなに苦労させなくてすむようになるから。
私が最初に言ったように、私は大人からも子供からも好かれるタレントになりたい。大衆が好きなタレントになりたい。健康で前向きな存在価値のあるタレントになりたい。
私が何をしたか知らないけれど、悪いことをしたとは思ってない。しかも私の目的はただ、仕事に対する使命感が強い人になりたいという、この一つのことだけ。ただ仕事を休みたくないと思っているだけ。
やっぱり私は毎週劇場でみんなと楽しくMCでおしゃべりしてダンスをしていてほしいと、みんなが思っていて、そうやって初めてもっと高い人気と、もっとたくさんの応援を手に入れられると、みんなが思ってるなら、みんなの自由にすればいい。
でも今後は二度と、私が何も努力してないとか、何かを勝ち取ろうとがんばってないとか、向上心がないとか言わないで。
R:当時みんなから見ると人気絶頂だった私は、周囲も何人か私を知っている人がいて、SNH48という名前を聞くと曾艷芬という名前を知っている人もいくらかいたけど、それがいわゆる人気が出たことになるというわけ?
写真だってそう。どうしてあんなに何度も送信しないでって念押ししたのに、私たちと言えば某お金持ちと連想されていたあの時期のことを忘れたっていうの?
私たちが人気番組で男性ゲストに媚びることしかできないのか、って言われた時期のことを忘れたっていうの?私たちを先入観の色眼鏡でみていた人がどれだけいたか。
R:私は本当に必死で努力してる。一人のときでもがんばってる。ファンの力が私を助けてくれると思ったことはない。ただみんながちゃんと暮らしてほしいだけ。
私を待ってて。私を信じて。理解できなくても、せめて私のことを信じてくれないかな。
R:私はみんなや劇場を離れようと思ったことはない。ずっとみんなをそばにいる友だちみたいに思って交流してる。
たまたまみんなの話を聞いても、たまたま私自身が心の中を話しても、どんなときも同じで、私はみんなに私を仰ぎ見てほしくない。みんなと平等な関係でいたい。いっしょにより良い自分に変わりたい。
R:何かあればすぐ投票って言わないで。静かに聞いてもらえればそれでいい。
R:いまは何があっても投票ということから離れられないの?
F:だいたい君の言いたいことは分かった。じゃあ君が成功して自分の目標を実現するまで、僕らに少しは助けさせれくれないかな。君も断らないでよ。
R:私は(投票を)断ってないし、必要としてる。でも投票して下さいなんて言えない。とくに年齢の若い学生さんには。
理性が足りない人からすると、投票を求めることも一種の元気づけ、ということなんだろうけど、私はどんな時でもみんなに何かを要求することはしない。一人のときはつらいけれど、私も必ずがんばる。これからもっと困難があっても、私はあきらめない。ものすごいことがまたやって来ても、私は怖がらない。
F:アーフェン(訳注:曾艷芬のあだ名)どうしても言いたいんだけど、ほとんど大部分の人がプラスのエネルギーが好きだよ。この前しばらくの間、君はマイナスのエネルギーをちょっと出しすぎだった。今後は楽観的に、ポジティブにすれば、もっと良くなるよ。以上。この書込みが適切じゃなければ、発言禁止にしてくれていいよ。
R:私がいつマイナスのエネルギーが多くなった?私がもうダメだっていうときも、みんなに一言も話したことがないのに、みんなは、私がつらくて、卑屈な気持ちになっているときに、いつも、私にああしろこうしろとか、私のここが悪いあそこが悪いとか、そう言っちゃいけないああ言っちゃいけないとかだよね。
F:現実主義者はほんと怖い……
R:現実主義者も面白くないよ。
ファンと彼女のこういうやり取りを読むと、やっぱり48系に代表される地下アイドルのファン(アイドルヲタ)と、アイドルの関係は独特だなぁと痛感する。
アイドルヲタは徹底して、自分がアイドルの育成に参加している実感、自分がこの子を後押ししてるんだという実感を渇望している。
一見、アイドルという「他者」につくす美徳から行動しているようで、実は、自己承認欲求を満たす「媒介」としてアイドルを利用している。
現実の世界で自己承認が得られないのは、「他者」が自分と異なる価値観を持っているからで、ある意味当然のことだ。人それぞれ価値観は違ってあたりまえ。
しかし、人それぞれ価値観が違うという現実を受け入れられず、自分自身と同じ価値観で、自分を承認してほしいとき、アイドルというのはうってつけの「媒介」になる。
なぜなら、アイドルは、個性はあっても、価値観をもたない白板のようなものだからだ。
アイドルのファンは、アイドルに自分の価値観を否定される恐怖もなく、安心してアイドルと対面し、アイドルを「媒介」にして、「この子は、自分がこの子を応援している事実を認めてくれた、自分の努力が認められた」というぐあいに、自己承認欲求を満たせる。
ルーリー(曾艷芬)は現実主義者で、地下アイドルではなく、普通のタレントの感覚なので、地下アイドルファンと決定的なズレがある。
地下アイドルファンは、アイドルを「媒介」に自己承認欲求を満たしたいからだ。
ルーリーが日に日に人気が落ちていくのに耐えられないのは、ルーリー自身ではなく、実はファンの方なのだ。アイドルの人気が上がらないと、自分の努力が認められたことにならないからだ。
それに対してルーリーははっきりとは言わないが、次のようなことを言っている。
「私はあなたの自己承認欲求を満たすためにタレントをしているわけではない。私は私で一般人、つまり『他者』にも認められるように努力するから、あなたはあなたで自分の仕事を通じて『他者』に認められるように努力してよ」
48系グループメンバーであるルーリーにとって、48系アイドルヲタ以外の、ごく普通の番組スタッフ、ごく普通の大衆こそが、自分自身を含む48系グループと異なる価値観をもつ「他者」である。
ルーリー自身は、そういう「他者」に認められることが自分の目的だとはっきり言っている。
ただ、こういう考え方は、アイドルを「媒介」にして自己承認欲求を満たしたいアイドルヲタを裏切っているので、ことあるごとにヲタが彼女を非難するのは当然の帰結だ。
ただし、ここで大きな「ただし」がつく。
そう言いながら、ルーリーは48系アイドルというビジネスモデルを踏み台にしてきた。
アイドルヲタの自己承認欲求を満たしつつ、それを金銭化する48系アイドルのビジネスモデルを踏み台にして、ピンでいろいろな番組に出演できる地位にまで登ってきた。
同じ二期生のキクちゃん(鞠婧禕)も、テテちゃん(黃婷婷)も、考え方はルーリーと同じはずだ。
つまり、いつまでもアイドルヲタの自己承認欲求を満たす「媒介」としてのみ活動していると、ごく普通の人たち=「他者」に認められるチャンスを失う、と考えているはずだ。
しかし、ルーリーと、キクちゃんやテテちゃんの決定的な違いは、キクちゃんやテテちゃんはそれを絶対に口に出さないことだ。
アイドルヲタの前ではアイドルとして振る舞い、単独で外の仕事をするときはごく普通の人たち=「他者」にとっての普通のタレントとして振る舞う。キクちゃん、テテちゃんは、そういう使い分けができている。
しかしルーリーは、たぶん優しすぎるんだと思う。
アイドルヲタに向かって、本当のことを言ってしまうのだ。本当のことを言わないのは、アイドルヲタに対して失礼で不誠実だと、ルーリーは考えているのだ。
そのルーリーの正直さや、相手に対して誠実であろうとする態度を、上記の書込みに登場する彼女のファンんは理解していない。
ただ、それを理解できる人間は、おそらくアイドルヲタにならない。アイドルヲタにならないということは、アイドルに自分の限界まで、あるいは限界を超えるほどの、金銭や時間や体力を費やすことはない。
そうすると48系アイドルの事業そのものが成り立たなくなる。
この意味で、やっぱり48系アイドルというビジネスモデルは、自分と価値観のちがう「他者」の存在しない「虚構」の世界で、自己承認欲求を満たしたい、そういうタイプの顧客を必要としている。
ところで、こういうタイプの顧客を必要としていないビジネスモデルなんて、現代の社会に存在するんだろうか?
じつは今の社会のあらゆるビジネスモデルが、均質な価値観の、閉じたクラスタを対象にしなければ成立しないのではないか。
ルーリーの言葉は、育成系アイドルというビジネスモデルの境界を、踏み越えてしまっている。その境界を踏み越えていないかのように発言し、振る舞うのが、ビジネスモデルの内側にいるプレーヤーの「お作法」なんだけれど。