元SNH48専属司会者兼バラエティー班責任者アージーさん回想録(7)

上海SNH48の専属司会者兼バラエティー班の責任者だった「阿吉(アージー)」こと張競さんが新天地を求めて運営会社を円満退社した。退職後、中国ツイッター(新浪微博)で「回想録」をツイートしている。上海SNH48が結成されたばかりの頃の様子がよく分かって、異常に面白いので順次日本語試訳する。

いってみれば阿吉さんはSNH48の歴史の証人。SNH48ファンは必読!

回想録第七回

原文はこちら

この間「お湯を飲みたがらない」メンバーが一人いると言ったけれど、じつは表現が正確じゃない。彼女はお湯を飲むべでも、ただ他人が彼女にお湯を飲ませるのを軽蔑しているだけなのだ。

ある日、ファンが親しみをこめて僕のことを「阿・お湯を飲めよ・吉」と呼んでくれて、その意味がわからなくて困ったけれど、じつはあのとき彼女に背中をすでに一刺しされていたというわけだ。それは生放送でのことで、自分ではまったく意識していなかったが、人を激怒させるような自分本位な男の行動を赤裸々に暴露してくれたのが、曾先生だった(訳注:元SNH48二期生ルーリー(曾艷芬)のこと)。

(訳注:「多喝熱水」は「直男(女性に対してうわべだけの優しさしかない男の蔑称)」の決まり文句で、ガールフレンドに「風邪ひいた」「生理が来た」「頭が痛い」などなど、何を言われても「お湯を飲めば治るよ」としか言わない誠意のない優しさのこと。ここで阿吉が「直男」と言われたことがあるというエピソードが何を指しているのかは不明)

曾先生はあだ名からすると、決して芸能界に向いていない。どう読んでも、僕の母親の連絡先にあるうわべだけの付き合いの友だちのように見える。しかし曾先生の顔面偏差値はやはり現場の反応のバラエティー感覚からすると、じっさい天賦の才能で、タレントにぴったりし過ぎなくらいだ。僕が思うに、バラエティー感覚というというものは、後天的に経験したり学習したりするもの以外に、生まれつきの思考法が常人と違うことがとても重要だ。曾艷芬はこの点で天賦の才能がある。

天賦の才能といえば、いちばん未熟だったころの彼女の表現力を是非見ておく必要がある。ドキュメンタリー『After Rain』を編集していたとき、僕は一期生の面接のメイキングをたくさん見ていた。その中に印象的な素材があって、メンバーが二人一組でたまたまインタビューされて、彼女たちにカメラに向かってファンに自己紹介をさせていた。

メンバーは全員あのころ全くの素人の状態で、とても礼儀正しい自己紹介の他は、お互い励まし合うとか、最後にはいっしょに頑張りましょうとか、そんなことを話していた。ところが曾艷芬のところまで来たとき、横にいた女の子が自己紹介をして「みなさん私のことを応援して下さい!」と言い終わるやいなや、曾先生はすぐに話を継いで「みなさん彼女を応援しないでください、私だけ応援してくれればいいです!」それを聞いた僕は思わず飲んでいた水を鼻から噴きそうになった。

結局彼女は一期生に合格しなかったが、この逆転思考のアドリブのリアクションが僕に深い印象を与えた。

『SNHello』第一シーズン第一回収録のとき、メンバーが三輪車に乗って人間「モノポリー」をやるゲームがあった。曾艷芬は登場するとデッドヒートをくり広げ、ゴールに突撃した。みんな気づいたかどうか分からないけれど、あの日ゴールインしたメンバー全員のうち、曾艷芬一人だけがゴールして勝ったのにうれしくなさそうな顔をしていた。

彼女は「さっき取ったカードをまだ使ってないよ…私のカード…次は私のカードを返してよ…」とずっとぶつぶつ言っていた(訳注:カードと訳したのは「嫁禍卡」で自分が受けたペナルティーを他人にやらせることができるカード)。このゲームのルールはゴールすれば勝利ということはみんな分かっていたが、収録の途中でゲームの勝敗から抜け出して、ルールを利用してネタを作り出し、自分のバラエティーキャラを確立した。これはまさにバラエティー番組のディレクターたちが欲しがっている効果だ。

結果、『SNHello』第二シーズンの撮影が終わるまで、彼女にこのカードを返すことはできなかった。このことを思い出すたびに、とても残念な気持ちになる。(訳注:『SNHello』第二シーズンは先日ネット放送が終わったばかりだが、彼女は退団したため出演していない)

ずっとバラエティー番組の印象が深く残っているので、その後一度、東方衛星テレビの番組のテスト収録へ彼女を連れて行った。時期的には、2015年だったと思う。SNH48がまだ人気が出ていなかったころだ。番組はテスト収録だったが、招かれたキャストは少なくなかった。SNH48の4人のメンバー以外に、東方衛星テレビの5名のトークの達者な司会者、加えて素人オーディション番組『マンマミーア』の三人の審査委員がいた。とくに金星先生は、弁舌さわやかな鋭いトークで、新人は言うまでもなく、ベテランのタレントも彼女の前では明らかに言行を慎んでいた。

番組の収録中、司会者が郭富城に扮して登場するコーナーがあって、金星先生は冗談で、「なるほど私たちに出演を頼んだのは、予算がなかったからだったのね。スーパースターも適当にニセモノを探してきて!」(訳注:本物の郭富城のギャラを払える予算がないのでニセモノを呼んできて、自分たちもその程度のギャラのタレントか、という自虐ジョーク)

すると曾艷芬はすぐに続けて言った。「金星先生それは違います。私たちSNH48のギャラは高いんですよ!」。スタジオ全体がびっくりした直後、大爆笑になった。アイドルグループのメンバーがこれほどの大物タレントの前でこんな「大胆」なツッコミを入れるとは、誰も思っていなかったのだ。それに続く収録で曾艷芬はまさに神だった。つぎつぎ登場するゲストに対して少しも気おくれせず、司会者も彼女につぎつぎネタを振って、あの日曾艷芬は振られたネタすべてにすごい返しをしていた。

ただ、僕は彼女のことをひたすら褒めるつもりもない。その後彼女が参加した営業の仕事は、決して出色の出来でないものも少なくなかったし、出来が悪くてトーク部分をまるごとカットされたものもあった。でもあの日の神のような曾艷芬は、本当にすごかった。しかし今でも残念なのは、あのテスト収録がその後決して放送されなかったことだ。

バラエティー感は本当に天賦の才能だし、毎回スタッフに対する態度も謙虚で礼儀正しかった。しかし外見は水面のようにおだやかだが、内心は鉄のように強情なこの女性は、本当にあまり受けが良くなかった。彼女の名前をあげるたびに、第一線を仕切っているスタッフの大部分は、頭を横にふってため息をついた。公演に遅刻したり、握手会に遅刻したりといった、ファンのみなさんが知っていること以外にも、最初に言った例の「お湯を飲ませる事件」について話してみよう。

その仕事はネットバラエティー番組『耳辺瘋』だ。曾艷芬の面倒を見るのは大変だと分かっていたので、責任感があって頼れるマネージャーを一人付けた。人柄も良く、コミュニケーション能力もある女性マネージャーだ。しかし二回分の収録をしただけで彼女は気が狂いそうになっていた。

彼女が僕にグチっていたのは、ディレクターが現場に来るように言うたびに、彼女はかなり時間が経ってからようやく自分でメイクルームから出てきた。マネージャーの彼女に対しては、いつも礼儀正しく「あっ、マネージャーさん分かりました。」「すぐに行きます」と言うのだが、結局その次も延び延びになる。ときどき他の大物タレントより遅くなることさえあった。

制作チームが準備した衣装は彼女も事前に写真をみて確認していたのに、結局、現場でどうしても着たくないと言い出す。態度はずっと礼儀正しくて、「自分の私服を着ればいいですよね」、「マネージャーさん、この服も素敵だと思います!」とにかく素直に話を聞くけれど、何度言い聞かせても分からない。

そこで僕は一度現場に行き、自分の目で彼女の仕事の様子を見てみた。やっぱり、いざ撮影開始というときに、彼女はまた番組スタッフが事前に準備した衣装に着替えたがらない。スタイリストは衣装を持って立ったまま気まずそうにしている。ディレクターまでが驚いて早く着るように言う。

あの日気温は氷点下で、雪が降ったばかり。スタイリストが準備したのはミニスカートのワンピースだったが、どこのタレントが冬に冬の服装だけを着て撮影できるなんてことがあるだろうか?!タレントをやっていて、冬に夏の衣装を着ろと言われず、夏の衣装で水に入るなと言われるなら、どれだけありがたいか。

あの日僕と彼女はじっくり話をしたが、じつは衣装のことだけではなかった。新人として他の番組スタッフと親しくない感じがするので、番組でも能力を発揮できない。自分の劇場のスタッフの世話がなくなることに適応できない。そういうことをすべてこじつけて、他の面で反逆する心理的な理由にしていた。

でも最後には、彼女は番組スタッフの準備した衣装を着て、頑張って屋外ロケ撮影に参加した。撮影が終わって彼女が凍えるほど震えている様子を、僕はとても見ていられなくなった。万一風邪をひいてその後の撮影に影響してはいけないので、休憩室にもどってお湯を飲むようにしきりに勧めた。当然、そのときの彼女は僕にいい顔を見せなかった。

ただ、後で彼女は僕に言った。あの日他のタレントさんはみんな彼女があのミニのワンピースを着て大雪の中頑張って撮影したことを褒めてくれて、後につづく数回の収録ではずっと仲良くなったと。番組の中でもたびたび彼女にネタを振ってくれて、撮影中の状態もどんどん良くなってきたと。

ある日彼女は突然僕に言った。私、分かりました、あなたの言うとおり、これから外で収録の仕事があったら、条件が悪くても、わがままとか言いません。私たちは新人だから、まず自分のやるべきことをやらないと、もっとチャンスをもらえませんよね。どうしてそんなに急に分かったのか質問すると、彼女は経験しないと分からないんだと言った。マネージャーも、その後彼女は人が変わったようで、毎回先をあらそって現場に出てくるだけでなく、衣装やスタイリングもとても協力的になったと僕に言っていた。

タレントのチャンスは、たしかに自分で稼ぎ出すものだ。

しかしいちばん残念だったのは、彼女が分かったと言ってほどなく東方衛星テレビ年越し特番の収録に行き、まさにあのときの収録の条件も、あまり良くなかったことだ。

唯一少し慰められるのは、彼女の最近の状態がどうやら良さそうだということだ。将来、彼女に対する残念な気持ちを埋め合わせる時間はたっぷりある。もちろん彼女があまり宇宙を研究するのに時間を使わなければの話だが。

(訳注:この上海東方衛星テレビの年越し特番で曾艷芬が起こしたトラブルが、SNH48から彼女がフェードアウトする決定的な原因になってしまった。「宇宙を研究する」は、退団後の彼女が中国ツイッターやFacebookに、一時期宇宙の不思議について大量に書き込みを始めたことを指す)

「僕は阿吉」を第7回まで書いてきたが、そろそろ終わりにすべきだと感じている。これからも不定期にこまごました想い出を書こうと思う。まだグループにいるメンバーも、離れてしまったメンバーも、じつはまだ回想して書き記しておく価値のあるメンバーはたくさんいる。

(訳注:この阿吉さんの回想録の原題は「我是阿吉(僕は阿吉)」)

でも、ほほをなでる気持ちいいそよ風にいつまでも未練を残していては、次々と沸き起こる未来の出来事を逃してしまう。アイドルたちとともに成長したおじさんも、新たな道のりを始めたいと思う。僕はよく自分に問いかけてみる。あれほど多くのファンに愛されるスタッフが、なぜ具体的な一人の人間として好意を受けられるだろうか。もしかするとSNH48にとって、阿吉は僕でもありうるし、他の誰かでもあるし、君にもなれる。そう、じつは阿吉は決してSNH48から離れたことはない。阿吉はずっとあの、黙ってメンバーたちを見守っている、とても温かな姿だからだ。

ここからは筆者の余談。

この阿吉さんの文章を読むと、やはりルーリー(曾艷芬)は「注意欠如・多動性障害(ADHD)」だと思う。ただ中国では重度の知的障害や自閉症には一定の理解はあるが、大人のADHDについて全く啓蒙が進んでいない。

以前もここに書いたが、筆者が中国ツイッターで、ルーリーは広汎性発達障害と思われるので、適切な支援を受けた方がよいとツイートしたら、完全に彼女のアンチ扱いされてコメント欄が荒れてしまった。

たとえばADHDの「衝動性」の例として、大先輩タレントの前でも臆せずツッコミを入れるような、「後先考えずに、行動・決断してしまう」点、SNH48旧チームNII公演の自己紹介MCでたびたび見られた、「人がしゃべっている時でも、つい発言してしまう」点、同じく劇場公演の生誕祭の誕生祝いコーナーや総選挙演説会での、「しゃべりが長くなりやすい、しゃべり過ぎと言われる」点など。

さらにADHDの「不注意」の例として、大物タレントが運転手をつとめるドライブ番組で、収録中なのに後部座席で爆睡してしまう、「大事な場面でも集中できずに時には寝てしまう」点など。他にも、公演や握手会、番組収録に遅刻するのは、「大事な事を念入りに準備しても数分から数十分遅刻してしまう」というADHD的な特性。

また、上記のようにいったん阿吉さんに説得されたと思ったのに、すぐ後、上海東方衛星テレビの年越し特番収録で些細なことからスタッフに激怒しまったのも、怒りをうまく抑えられないADHDの特性だ。

事実上退団した後、北京の児童虐待事件のあった幼稚園の現場に夜中に出かけて行って園長に抗議しようとした件は、ADHDの衝動性の事例。

それと自閉症スペクトラムと併存している部分として、空気が読めないことや、上記、慣れない番組スタッフとなかなか親しくなれないコミュニケーションが苦手な点、一時期、宇宙の神秘にこだわって、ものすごい長文をFacebookに書き込むなどがある。ネット番組に出演したときなど、席に落ち着いて座っていることができず、股を開いて見せパンが丸見えになっても平気という、多動性の特性も。

これらを単なる性格の問題と見るのは、彼女が意図的に、ときには悪意を持ってこうした行動をとっていると見られることになるし、現地の一部ファンの間では、ほとんど変人の「見世物」のような扱いをされてしまう。彼女にとって決して幸福な状況ではない。

でもこれが一種の病気であり、適切な支援や介入をした方が彼女のためになるということは、今の中国の一般人には決して理解されない。

不幸なことだ。